10/20 ③宝くじ8億当たった結果

豪遊

それからというもの、私は仕事を頑張ったご褒美に「したいことリスト」を一つづつこなしていった。どれも今思えば恥ずかしいほどの成金ぶりだったが、あの時は楽しかった。

まずは服を買い漁った。もともと、特に服が好きということはなかったのだが、まだ26歳の若造が高級車や不動産を買うとなるとせめてハッタリくらいは聞かせたいと思ったのだ。

休日ごとにA子を連れて色々な店を見て回った。一度やってみたかったことがある。財布にごっそりとお金を入れるというやつだ。しかし、コンビニのATMでは確か20万円か30万円ほどしか引き出すことができなかったのを覚えている。

思っていたのと違うなと不満を感じつつ、10枚ずつお札でひとまとめにし、これみよがしに財布に入れる。本当は金を持っているなどと思われるのは危険なのだろうが、この時の私は、みてくれと言わんばかりに金を広げていた。

実際のところ、ネットバンクのデビッドがあるため、ほとんどの場面で現金は使わなかったが。

それから繁華街なども近くにある駅前のバカでかい百貨店や独立した店舗がいくつも鎮座しているエリアに行き、聞いたことのあるブランド店を見て回る。エルメスにジョルジオアルマーニ、ヒューゴボス、ドルチェガッバーナ……。

最初は入るのに緊張した。何せ、せいぜいユニクロやファミリー向け商業施設のセレクトショップにしか行ったことがないのだ、入った瞬間に「相応しくない」と追い出されるのではないかとすら思った。

A子を連れてきたのは正解だった。まだ、女性連れの方が何となく抵抗がなく入店できるのは不思議なものだ。

想像通り、大抵のブランド店は当時の私のような、サイズもイマイチあっていない安物に身を包んだ、大学生に毛が生えたような男が入店しても対応が明らかに雑というか、あっさりしている。

それどころか、私が商品の財布を見ていると触るなと言わんばかりに手から取られ、値段を見せられたこともある。たかが10万円ほどの、ワニ革が一部に使われている財布だ。

私はそこで引き下がるのも口惜しく、デザインも気に入っていたのでなるべく冷静な口調で平然を装いながら「ああ、安いですね、それください」と言ったところ、店員にとっての私は「迷い込んだ若造」から「若くして金持ちの成功者」に飛び級で格上げされたらしい。

「見る目が変わる」と言うがまさに目元の細かい表情筋の動きが変わるのが分かるから面白い。本人はきっと無意識なのだろう。私が店員でもきっと同じような態度を取るに違いない。

その店員は奥から在庫を出してきてワニ革の模様(天然物なので一つ一つ異なる)を選ばせてくれたし、他の新しく入荷された服なども勧めてくれた。

ただ、そのブランドのデザインは(クロコの財布が売ってあるくらい)私の考えるスマートな金持ちという印象とはややかけ離れていたので何も買わなかった。

とあるイタリア系のブランド店では、オーダースーツを作った。

就職してすぐの頃にセミオーダーのスーツを購入したことはあったが、高級ブランド店のオーダースーツは全ての格が違う。

まず入店して、オーダースーツを作りたい旨を伝えると丁寧に二階に案内してくれた。

一階も煌びやかだが、緊張しながらも何とか真っ直ぐ歩き、洒落た緩やかな螺旋階段を上がるとそこには圧倒されるほど大量の生地のサンプルや何に使うかわからないようなものまで飾られていた。

仕事で着るようなスーツを買いに来る場所ではないというのは明らかだ。

あまりに緊張しすぎて何を聞かれたか覚えていないが、似合うスーツが欲しいとかバカなことを言った記憶がある。それから身体を採寸され、さまざまな色や素材の生地を試した。試すと言っても、生地をマントのように羽織るだけだ。

それで色合いや素材がどのように見えるか、鏡で確認する。A子は意外と落ち着いていて、これが似合うとか、これは似合わないとかその都度意見を言って和ませてくれた。一人で行っていたら緊張のあまり逃げ出していたかもしれない。担当の店員は中年のスマートそうな男性で、私のことを冷やかし客を扱うようにはしなかった。

「若いから」と明るめの生地をいくつか持ってきたり、どちらかといえばカジュアルな素材を持ってきた。今思えばその選択は正しかったのだろうが、私は映画で見るようなセレブの着こなしをしてみたかったし、金を使いたかったのだ。

結局私は、やや明るめのネイビーのオーダースーツと既製品のダークスーツを購入した。それでだいたい二百万円くらいしたと思う。

冗談みたいな金額に、ぼったくりを疑った覚えがある。それに、宝くじ当選者以外でスーツ二着に二百万円も使える人間がいるのだろうかと疑問にも思った。少なくとも、単なるエリートサラリーマンくらいでは到底無理だろう。

後日出来上がったオーダースーツは美しいとしか言いようがなかった。写真ではあまり伝わらないのだが、手触りや見た目の光沢が明らかにもともと持っていたものとは違う。

「オーラがある」と言うが、まず間違いなく生地の質感に左右されるのではないかと思う。

それから、カジュアルな服も購入した。若者が車を買いに行くときに、スーツで行くのもおかしいだろうというのは何となく感じていた。

当時はブランドに詳しくはなかったが、モンクレールやバレンシアガのようなまだ若者受けを狙っているところで店員に言われるがまま購入した。

全身ブランドものの成金が完成した瞬間だ。不思議とゴテゴテした派手なものではなく、洒落て見えるものだ。

金を払うのがこれほど気持ちの良いものだとは思っていなかった。

私がまるでファミレスやコンビニで買い物するかのように、「それください」と平然と言うだけで店員の目の色が変わる。承認欲求がどんどん満たされていくのを感じたし、その時にはA子の様子もおかしかった。

スーツに二百万円という時から「ねえ、どれだけ儲かったの?」と何とも言えない表情で聞いてきたが、「まぁ、結構?」とはぐらかした。

それからイタリア系ブランド店ではA子にも服や靴を買った。A子は背が高いモデル体型というわけではなかったが、細身で服が似合う。

すでに紙袋をいくつか抱えて、ブランド店に入るのも緊張しなくなった私は店員に「彼女に似合う服持ってきて」とだけ言い次々と試着させた。世界で通用するブランドは本当にすごい。

前衛的で奇抜なデザインのように見えるが、全く浮いて見えないのが不思議なくらいだ。フォーマルなドレスから日常で着られそうなワンピースまで何着も買った。

A子は私がただならぬ金額を稼いだのだと確信していたようで、買ってもらえるものを遠慮するのは失礼だというポリシーもあるらしかった。

その代わりに何度も「ありがとう」「嬉しい」と言ってくれた。「その日の締めくくりは事前に予約しておいた外資のシティホテルに泊まった。

残念ながら一番高い部屋の予約を取ることはできなかったが、それでもそれまで泊まったことのない広さのスイートルームだった。

今思えば、一泊百万円を超えるような部屋の予約は、例えばカード会社のコンシェルジュに頼まないとまずできないのは当然だが、成金初心者がそんなこと知る由もない。

ホテルの部屋で買ったばかりのスーツ一式を身につけ、スニーカーから数十万の革靴に履き替え、A子はドレスに着替えさせた。

鏡を見るとテレビで昔みたような若社長のような風体だ。馬子にも衣装というやっだろうか。

SNSでは新しくアカウントを作り、彼女との写真を上げ、しばらくセレブの似事をしていた。今は事情があり更新はしていないがアカウントは存在するはずだ。その事情というのもまた後で話せればと思う。

それから上階にあるレストランに向かい、人生で初めてのフルコースを食べた。一人二万円ほどのコースに二万円の赤ワイン、何と安いものだろう。

きっとその日たった一日で金持ちの振る舞いというのが身についたように思う。テーブルマナーなど知りもしなかったが、緊張することはなかった。

昼間の買い物で、結局金を持っている客が一番偉いし、世間知らずでも金がたっぷりあると思えば、世間体などどうでも良くなるということがわかった。

その場で堂々とスマホで調べれば大抵のことは出てくるし、それに、もし間違ったフォークやナイフを使ったとしても、店員が指摘することはあり得ないし、何も言わず新しいものを持ってきてくれる。

私は、今でもわからないテーブルマナーは恥ずかしげもなく聞くし、どうしても食べにくければ「箸はあるか?」とすら言うこともある。

何度も言うが、金を持っている奴が一番偉いのは誰が何と言おうと紛れもない事実だ。私が堂々と適当な食べ方をしていれば、連れの彼女も気負わなくて済むということもある。

宝くじが当たって、一番刺激的だったのはその日だったと思う。「したいことリスト」をまとめてやってしまったからそれもそのはずだ。

確かに、それ以降も服が好きになり、暇つぶしに雑誌を読んではそれを買うようなことは続けていたが、少しずつインターネットで買い物をすることも増えた。

結局、高級店で少数の店員へ対する承認欲求は一度満たされるとしばらく満足してしまうし、以前ほどの刺激もなくなってしまうのが現実だ。

彼女を連れて買い物に行くというのは楽しい体験ではあるが、何度もやっていればありがたみもなくなるし、金には一応限界があると言うことを忘れてはならない。

それから付け加えておくと、「金がある」という状態は少なくとも数ヶ月に渡って脳を麻痺させた。興奮していたのかどうかはわからないが、ずっと金のこと、というか「金がある」と言うことばかり考えていたと思う。

頭は常にぼーっとしていて、モヤがかかったような感覚だ。それまで数百円の差にも気を配っていたし、財布の中身やATMから引き出す金額も常に考えていた。それが、財布に数十万円は常に入っている状態で、ATMからも何も考えずに二十万円を引き出す生活だ。

買い物や飲食店で注文する時も値段など見ることがない。感覚が麻痺していくと言うのがわかった。

購買行動に脳を使わないし、仕事もしていないと、本当に頭を使う機会はない。しばらくは毎日のように外出したくてたまらず、金があることを見せけたかった。

一人であっても繁華街の居酒屋に行ったり、高い焼肉を食べたりした。それまでキャバクラなどに行ったことがなかったのは救いで、一人でキャバクラに行くことは考えなかった。

それでも何度か先輩と言ったガールズバーに足を運んだが、高い酒を奢ると言っても数万円使ったところで気晴らしにはならず、行くのをやめた。

女性からの承認欲求は大学時代にある程度満たされていたと言うのも良かったのだと思う。

とにかく、あの脳が麻痺する感覚は不思議だ。それでも、食べたいものを食べ、欲しいものを買うというのは慣れるまでに少し時間がかかることは伝えておきたい。

時計を買うようになったのもこの時期だ。それまでは時計など何をつけていても同じだと思っていたが、ロレックスやパテックは価値が下がりにくいと聞いて、一種の投資としての意味合いもあり購入した。

人は時計と靴を見ると言うが、実際靴は目立つものの(きちんと磨いてあるかどうか)、時計は一目でブランドが分かるのは時計屋くらいのものだ。

典型的な小金持ちが着ける、オメガシーマスターやロレックスデイトナであれば私も分かるが、個人的に好きなヴァシュロンコンスタンタンなどになると、「上品な時計」くらいにしか思われない。

数ヶ月はかなり乱れた生活をしていたが、口座残高は全くと言っていいほど減っていなかった。八億円のうち二千万円使ったところで変化はない。

それでもあっという間に一年分の資金を使ってしまったなとは思った記憶はあるが、何とかなるだろうとも思っていた。「金がある」というのは本当に凄い。

無職で、ニートなのに、大学を留年して、卒業してからもアルバイトをしていた時のように負い目や劣等感を感じるようなことは一切ない。むしろあくせく働いている人が可哀想にすら思える。

このようなことを言うと、実際に一般労働者である読者は不快に思うかもしれないが、バイアスを排除してみれば事実だ。

毎日のように時間と労働力を安値で量り売りしているのはあまりにも惨めだ。そのようなシステムは異常だと言っていい。しかし、資金がなければ何もできないと言うのもまた真実ではある。

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