■利益向上の流れ
では、どうやってここまで利益が回復できたのか。中野が入った当初、すぐに行ったことの一つに経費削減がある。相談してくる経営者の大半はすでに経費削減は行っていると言うが、事業再生コンサルタントから見たらまだ不十分なことが多い。長崎田村運輸は多くの場所に倉庫を借りていて、それを1ヶ所に集約しようと倉庫の賃貸借契約をどんどん切っていった。そしてその倉庫での仕事に従事する人たちもそのまま退職させた。
しかし経費削減を行うにも限度がある。利益が出るためのビジネスモデルにしなくてはならない。同社のとった戦略は、重トレーラーに特化しよう、というものであった。
中野が入ったころ、同社のトレーラーは、4トン、12トン、20トンなど、いろいろな種類のものがあった。それを重トレーラーに特化することとなった。
また、近場への荷運びに特化することにした。幸い、長崎田村運輸は長崎で知名度がある会社である。長崎港内や、その近くの荷主に営業をかけていった。もともと同社は、大手ゴムメーカーと直取引している。大手ゴムメーカーの特殊製品の荷運びをほとんど同社が行っている。大手ゴムメーカーの近くの工場から長崎田村運輸の倉庫に荷を運び、保管し、海外に輸出したり、県内のマンション物件への配送を行ったりしている。
あれもこれも手を出して赤字を出してしまうより、事業をある程度絞り、利益を出していく戦略とした。重トレーラーによる近距離運輸業への特化である。
そして長距離のものは全て外注することにした。また外注先が見つからない仕事は無理に受けないことにした。外注の仕事でも、基本的に15%の粗利益をとらなければダメだと中野は言った。それだけの粗利益をとれない仕事は全部断らせた。今まで同社は、遠方の関西方面への仕事など、どんどん引き受けて運んでいたが、そういう仕事も全部やめた。なんでもかんでも仕事を引き受けてしまっていたから、こんな状況になってしまったのである。自社については県内の仕事に特化させることにした。
そうすると、不要な車が多く出てくる。以前は、4トン車は10台近くあったが、不要な車はどんどん処分していった。現在の車はほとんどが重トレーラーである。他には、4トン車2台、2トン車1台しかない。30トンとか40トンを引っ張る重トレーラーに特化した。
また先日も、新車の重トレーラーを買ったばかりである。社長は中野に買ってよいか聞き、中野は「じゃあ、買おう」と二人で決めている。
またもう一つ、開梱の仕事にも注力した。長崎港に到着したコンテナを、出航するところまで運ぶ。そうすると車が走る距離は、せいぜい1~2kmである。長崎港の構内だけに特化する。それを仕切っているのはヤマオという会社であるが、そこへ社長と中野で営業に行き、仕事を取った。その仕事に8名の社員を入れた。そして1人1日10往復させている。そういう仕事であれば距離を走らないため、ガソリン代はかからないし、タイヤも擦り減らない。そして利益がとれる。さらに、50トンまで引っ張れる重トレーラーを買い、それもうまくいった。それだと1回運ぶのに30万円ぐらいの売上となるが、1日2往復できる日もあり、そうすれば60万円の売上となる。運転手の日給が1万5,000~2万円とすれば、それで1日に60万円弱も稼げるのである。そのような運送会社は、長崎にはあまりない。そういう、同社独自の業務に特化していった。
このように、仕事を何でも追い求めることがなくなったため売上は下がったものの、大きく利益を計上することができるようになったのである。
現在は別の大手企業に営業をかけている。中野はよく、田村社長の営業に同行している。中野は経営者時代、自分の会社を先代から引き継いだ時、年商2億円から、20年かけて20億円に引き上げた、営業に特に強い経営者であった。営業に強い中野は、コンサルティング先の社長の営業によく同行し、営業の手伝いもしている。
この会社にしか頼めない業務がある。そういう業務を持っている会社は強い。そういう業務を持つにはどうすればよいか。そしてその強みをどうアピールしていくか、常に考えておきたい。
■社長とのケンカ
今でこそ田村社長と中野とは信頼関係で結ばれているが、コンサルティングに入った当初はどうだったのであろうか。
田村社長は、2代目ということもあってぼんぼんで、そしてヤンキー系であった。最初のころは、中野が同社を訪問すると、いつも二人で大ゲンカであった。そして中野が、「ふざけんな、じゃあ俺、もう帰る、言うこと聞かんなら、帰るぞ」
と言い、社長も、「上等だ、このやろう」
と言い合うことはひんぱんにあった。そういうことをさんざんやってきた。しかし、最後にはいつも、社長が「いや、でも考えてみたら、あんた、おもしろいよな」となる――そして今に至るのである。
経営者は、自分の今までの経験や、やり方が必ず正しいと思っているものである。しかし厳しい状況にある企業の経営者であれば、やはりそのやり方に問題があるから、そのような状況に陥ってしまっている。中野は元経営者であり、自分の会社を倒産させてしまっていた。経営者の気持ちは痛いほど分かる。「あんたの考えだと、このまんまじゃ未来なんか何もねえや。真っ暗闇だよ。だってあんたがまいた種からね、実がこうなって、それでこうなってるんだよ。自分でやったことが、結局は最終的に自分に返ってきて、こういう状況なんだよ!」
と中野が言うと、「会社がこんな状況になったのは、建築材料の方に手を出したからだ!」
田村社長はそればかりを言う。そして中野は言い返す。「建築材料のせいばっかりにして。そんなのはただ単にきっかけで、原因じゃねえんだよ。なんで今、会社がこうなっているのか、その原因というのは、あんたの考え方、あんたの経営姿勢なんだ」「おめえ、何てことを言うんだよ」はじめの2、3ヶ月は、このように、さんざんやり合っていた。ケンカをしていた。経営には失敗法則がある。それをそのままやっているから、落とし穴にはまってしまう。
田村社長と奥さんはよくこんな会話をする。「あのころ、もう何度も、自殺をしようかと思ったよ」「だけど、中野さんがああやって、がんがんあなたをどなりつけるから、少しずつ変わっていった。それまではそんなこと言ってくれる人、誰もいなかった」厳しい状況に追い込まれ、社長は変わっていったのだ。
■会社が倒産する時
田村社長は中野に聞く。「なんで中野さん、失敗したの?それを教えてくれよ」「会社ってどうしたら、なくなるか、それをよく考えてみないといけない。会社が倒産する時とは、現金がなくなった時だ。現金が枯渇してはじめて会社はなくなる。銀行の預金は0、金庫の中はすっからかんで、はじめて会社は倒産するんだ」「じゃあ、そうならないためにはどうしたらいいんだ?」「現金を増やすんだよ」
中野は自分の会社を倒産させてしまった経営者として、一番よく分かっていた。商売というのは、現金を回して、増やしていくことなのである。それが原理原則なのである。しかし多くの社長は、そこに主眼を置いていない。そして売上の拡大ばかりに目がくらむ。
売上を拡大させるのは結構なことだが、それで赤字を拡大して、現金をなくしてしまえば元も子もない。会社を倒産させないためには、とにかく現金を見ること。そしてそれを徹底的にやっていったら、会社は必ず伸びるものである。中野は特に、現金を増やすことを毎月毎月、重点的に見ていった。
中野は言った。「社長、僕とこういう約束をしよう。今後、手でつかめるもの、それだけを信用していこうぜ」
そして、長崎田村運輸の、今までの10期分ぐらいの決算書を並べて続けて言った。「社長、結局、利益が出たって、それは手でつかめるもんじゃねえんだ。こんなの売掛で残っていりゃあ、いくらだって利益が出るんだよ。在庫だって増やせば、利益なんかいくらでも出ちゃうんだよ。だから、つかめるものはイコール現金なんだよ。金庫の中のカネと、あと銀行のカネをおろしてくればつかめるんだから、それだけを信用しようぜ。それだけを増やすことを、一緒に」
そこから、田村社長と中野による、長崎田村運輸の現金を増やす取組は始まった。月次資金繰り表と日繰り資金繰り表を社長が付けて、中野のところに3~4日おきに送り、中野は資金繰りのアドバイスをした。また売掛金のサイトも細かく見た。「2ヶ月のところは1ヶ月半でもらうように交渉して」「こことの取引はもうやめよう」「ここはもっと力を入れていこう」
そこを徹底してやった。上場企業でも関係ない。入金が翌々月末の上場企業でも、頼み込んで翌月にしてもらった。「もう未回収をなくすように」「1円でもいいから取ってくるように。1日でもいいから早く取ってくるように」
と中野はうるさく言ってきた。そうすることによって少しずつ、お金が残りはじめてきた。中野がコンサルタントとして同社に入ったころは、「中野さん、2,000円ぐらいしか残んないよ。もうダメだ……」「手形が落ちねえよ」というのがひんぱんであったが、徐々に資金繰りが回るようになっていった。現在は、長崎田村運輸の現金は1,000万円ぐらいとなっている。これは、社長や奥さん、常務が今まで会社にお金を貸していた、その返済を行っての数字である。現金は、将来のために社長やその親族で持っていてもかまわない。
社長、奥さん、常務が会社に貸し付けていた5,000万円をそれぞれに返済して、その上での会社の現金1,000万円であるから、実質は現金が6,000万円たまったのである。さらに税金の滞納を1,500万円、社会保険料の滞納を5,000万円以上解消した上でこの数字であるから、上出来であろう。また奥さんもとても協力してくれた。試算表が出ると、「これでチェックしてください」とすぐにメールで送ってくれた。経費削減はもちろん、無駄な資産処分もやって、資金繰りを良くしていった。
資産処分は何をやったのか。同社は土地や建物は持っていなかった。トラックなどの車両を処分していった。会社に利益をもたらさない2トン車や4トン車はどんどん転売していき、そのお金で重トレーラーを買っていった。
リースでは、繰延べを行っていった。リースしている車両だけで25台ぐらいあった。リース料は月400万円支払っていたが、それをリース会社に交渉して半分に組み替えてもらった。これも、資金繰り対策の一つであった。車両は換金性がよいから、繰延べ交渉において強気に出るとリース会社に処分されてしまうので、慎重に行った。田村社長が各リース会社を訪問し、中野はそこに付き添った。
給料も、中野がコンサルタントとして同社に入る前までは遅配が起こっていた。例えば、ある運転手のある月の給料が30万円とすると、20万円は支払ったが残り10万円分を待ってもらっていた。それが長いもので2年も支払っていないものもあった。それを運転手一人一人、呼んで話し合った。
そのような状況の中、中野によるアドバイスのもと、資金繰りのコントロールを行っていった。そういうものを一つ一つ片づけていく中で、現金を少しずつためていくことができた。
■ついてこられるか、こられないか
社員に対しては、社長と中野で運転手と面接したり、会議を開いたりして、「今の状況はこうだぞ。ついてこられる人だけでやっていく」という話をしていった。そして、辞めてしまう人も多く出た。中野が入った当初、社員は50名いたが、今残っているのは30名である。残った社員は、モチベーションがとても高い社員ばかりである。
そして、会社としてだらしなかった部分を正していった。運送会社は朝が早い。5時に出社はザラである。今までいい加減に行っていた対面点呼をしっかり行う。朝、「おはよう」と言って、「あなたは酒飲んでないね」とチェックする。乗車前のチェック項目で、今までいい加減に行っていたものを、しっかり行う。このように規律を正していった。その中で、社長と社員とのコミュニケーションがどんどん取れるようにもなっていった。
そして運転手は、帰ってきてからトラックをきちんと掃除するようになった。その結果、車両の修繕費が少なくなっていった。無駄な吹かしもなくなっていった。そしてガソリン代が減っていった。
こういうことをやっていくと、利益は上がっていく。今では、平均すると毎月300万~400万円、経常利益が出るようになった。
社長と社員とのコミュニケーションがとれると、お互い考えていることが分かってくる。会社の規律を高めると、無駄な部分がなくなっていく。そうしたことによって、社員のモチベーションが高まり、仕事の質が向上し、それができていった会社は利益を増やしていける。事業再生とは、そのようなことの積み重ねである。
しかし、そこに至るまでには運転手との激しいやり取りがあった。対面点呼もしかり、運行表の運用もしかり、規程をどんどん作っていった。そうすると、今までの会社の雰囲気に慣れてしまっていた運転手は、文句を言いながら次々、辞めていった。ほとんどは、社員の方から辞めていった。会社側から「辞めてくれ」と言ったのは、たった1名だけであった。
厳しい状況に陥っている会社は、規律がゆるくなってしまっていることが多い。そしてそこにどっぷり浸かってしまっている社員がいる。そもそも社長自身がゆるいから、社員もゆるくなってしまう。まずは社長から変化すること。そうしなければ社員も変化していかない。そしてそれについていけない社員は自ら退職の道を選ぶが、特にそれを引き留める必要もない。残った社員には、レベルの高い社員が多くなり、会社のレベルも高くなる。運転手を集めた会議で、そういう規律に反発する運転手は、中野の話を半分も聞いていなかった。そこを中野が「聞いてんのか、お前ら」と言う。態度が悪い運転手はふてぶてしく、ふわーっとした態度である。あくびもする。そして中野は、そういう運転手を指して「今、俺、何て言ったよ?」と言う。「言ってみろ」と。そして、耐え切れなくなった運転手は「やってられねぇ」と文句を言って外に出ていってしまった。規律に耐えられない運転手は、どんどん辞めていった。
そして現在は、質のよい運転手だけが残った。規律の正しい組織となっている。中野が同社を訪問したら向こうから「おはようございます」とあいさつしてくる。
■運転手の訓練
重トレーラーは、4トン車などと運転の仕方が全然違う。重トレーラーは、後ろで重いものを引っ張るから、カーブの切り方の感覚をつかまなければならない。ではどうやって、運転手は運転の仕方を覚えているのだろうか。重トレーラーの練習場があり、運転手はそこに練習に行っている。重トレーラーの運転ができるようになると、精密機械を運ぶなど他社ではなかなかできない業務が可能となるため、仕事を取りやすくなっていく。またそのような仕事は、単価が高い。他の会社が面倒くさがってやらないことをやることにより、仕事が取りやすくなっていく。
■運行表
事業再生コンサルタントはこんなことまでやるのか、という例がある。例えば、中野は毎日、長崎田村運輸の運行表のチェックを全部行っていた。社長がその運行表をデータにし、それを中野にメールしていた。何月何日、誰が何キロ走って、ガソリンがいくら、交通費がいくら、諸経費がいくらとか。そういうものを全部社長に入力させ、利益がいくら出た、というのを算出し、それを中野がチェックしていた。
そして「なんかこの人、前より利益が少なくなってきたな」ということを見つけたら、社長と中野とで、「この人、ちょっと稼いでねえぞ」「ここんとこちょっとおかしいぞ」と話し合い、運転手を呼び出して話をして改善していった。実は、長崎田村運輸には今まで多くのコンサルタントが入っていた。中野が入ってからは中野のみになったが、以前は運送業専門のコンサルタントなどが入ったりして、このような資料は多く整っていた。
しかし、その資料を社長が何もそしゃくしていなかった。何も活用していなかった。その資料の意味を分かっていなかった。こういうのを完全にコンサルタント任せにしていたから、厳しい状況になってしまった。
まずは、この、個々の運転手がいくら稼いでいるのか、いくら無駄が出ているのか、そういう基本的なところを見ることから、中野は始めた。運送業では毎日、運転手から運行日報が出てくる。その資料をどう見るか、どう活用するか、中野は田村社長に教えていった。このようなせっかくの分析資料も、経営に活かすことができなければ無駄にしかならない。中野は経営に活用できるようにしていった。
■そして債務超過解消へ
リスケジュールを行った金融機関では、5年で債務超過が解消になる経営改善計画を出すようにとか、それができないのであれば10年で債務超過が解消になる経営改善計画を出すように、ということを言ってくる。しかし金融機関からは、「経営改善計画を出しても、リスケジュールを行ったら、その経営改善計画を机の引出しにしまって忘れてしまう経営者が多い」という嘆きの声も多く聞く。事業再生において重要なのは、立派な経営改善計画を作ることではない。経営改善計画を作ったらそれを実行していくことの方がよっぽど重要である。
長崎田村運輸では、金融機関にリスケジュールを行った時に、5年で債務超過をなくす経営改善計画を出していた。最初の2年間は年1,000万円ずつの利益しか出なかったが、そこから3,800万円、4,000万円と、大きく当期利益が出るようになっていった。利益改善が一気に加速していった。そして次の期は、5,000万円の当期利益を出す計画を立てている。
同社には多くの繰越損失が残っていて、利益を出しても法人税はかからない。順調に、債務超過解消への道を進んでいる。これであれば金融機関も評価してくれる。まだ完全に返済を再開するまでには至らなくても、リスケジュールの更新により金融機関が支援してくれるようになる。
■再生できる会社、再生できない会社の違い
「再生できない会社は、社長が優柔不断という傾向がある」と中野は言う。「これをやる」と言って、結局やらないという経営者が多い。金融機関のリスケジュールを行って、いったんは資金繰りが回ると、とたんに楽をしようとする経営者。のど元すぎれば熱さ忘れる、という経営者。事業再生コンサルタントが入れば、あと1~2ヶ月で倒産しそうなところを緊急の資金繰りを組むことによってとりあえず倒産は回避できる。
しかしそこからが重要なのである。経営改善に向け、経営者は死ぬ気になって取り組まなければならない。行動力、スピード感を持って取り組まなければならない。資金繰りが回り出したとたん、楽をしようとする経営者がいる。企業は、事業の赤字を黒字にすることができず、結局は倒産してしまう。田村社長は違った。「自分が絶対、自分の会社を再生させるから」という固い決意があった。やると決めたことは徹底して実行した。
またいい加減な社長というのは、社員に対しても適当である。社員に何かの件で問題が起きると、いい加減な社長は適当に済ます。しかし田村社長は徹底的に話し合う。納得するまで、お互いに理解するまで話し合える社長が、社員から信頼され、社員は大きな力となってくれる。
中野は田村社長に言う。「自分の会社がいったん厳しくなったのは、いい経験じゃないか。これからお金を残していけばいいじゃないか。まだ10年できるんだから。まだまだゆうに億万長者になれるぞ」
田村社長はまだ55歳。あと10年はやれる。今は厳しい状況の会社でも、そこから歯を食いしばって再生し、10年後には、今の自分を見て「そういうこともあったなぁ」と笑っていたいものである。
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