競馬youtuberがあなただけに教える カンタンに馬券成績が変わる方法
1,はじめに
こんにちは!私はyoutubeで競馬予想チャンネルを運営しています。皆様の暖かい応援に支えられながらチャンネル運営を続けております。
もう、メンドクサイこといいから、さっさと「馬券術」教えろよと思って読んでいる人もいらっしゃると思いますので。結論から申します。(笑)
馬券成績が変わる方法とは、競馬に対する考え方を変えるということなんです。考え方とはズバリ「逆張り」の考え方です。逆張りの考え方に思考を変えていく。そうすることが唯一プラス収支を出し続ける可能性がある方法なのです。
競馬とは勝てる可能性が一番高い馬を予想するゲームではありません。各出走馬の勝つ確率と、オッズ(人気)が見合わない馬を探すゲームが競馬なのです。
この考え方に私がいきついた経緯と、この「「逆張り発想」が自動でできる、経験も知識もほとんど不要の【オーナー馬(赤馬)馬券術】の素晴らしさを説明していければと思います。
2,人生はじめての競馬
~私が競馬と出会ったはじめての日の苦い思い出~
いきなりですが、皆さんが興味ないであろう私の高校時代の話から、競馬のお話は始まります。私の自宅は九州の福岡県にあります。福岡県の小倉という田舎町です。田舎とはいっても、いちおうモノレールなんていう近代的な乗り物も走っているので「ド田舎」ではないかもしれませんが(笑)。そうです。小倉と言えば小倉競馬場。その小倉競馬場へ歩いて行ける場所に私の実家はありました。いまでも忘れません。1991年の有馬記念。ちょうど私は高校2年生。高校2年生の冬休みに入る直前だったと思います。来年は高校三年生。長い人生において大事な大事な大学受験を控えた、受験勉強を本格的にやっていかなければいけない大切な時期でもありました。そんな時、高校へ毎日、チャリンコで、いっしょに通っていた内藤君(仮名)から、競馬場への誘いを受けたのでした。「やっつん。競馬見たことあるん?俺ん家はおやじが競馬毎週やるから俺も毎週いっしょに予想しよるんよ。馬券もおやじに買ってもらいよる。今週日曜日いっしょに遊ぼうや。競馬場に今週日曜日に行こうや。有馬記念ちゅうとんでもなく大きなレースがあるんちゃ。絶対勝てるメジロマックイーンちゅう馬がでるんちゃ。その馬から買えば絶対に当たるんちゃ。行こうや。行こう。行こうっちゃ。」と半ば強引に誘われたのです。
そして内藤君とのはじめての競馬場。その日が、まさに有馬記念の当日でした。当時はPAT投票なんかもほとんど普及しておらず、ほとんどの人が競馬場でしか馬券を買うことはできません。だから競馬場は人だかりです。
GI競走とは言っても、小倉競馬場で実際に馬が走るわけでもありません。それなのに人・人・人。こんなに競馬って人気があるんだなと、高校生ながら大きな驚きを覚えたものでした。
そして、ついに馬券を買う締め切りの時間がやってきます。馬券を買うのには窓口に並ばなければいけません。締め切りギリギリだと馬券は買えません。馬券購入の窓口には行列ができているからです。発走時刻の20分前には列に並ばなければいけません。
しかし、高校生はもちろん馬券は買えません。年齢がばれると、私たちは競馬場の職員につかまり、競馬場を強制退場させられます。童顔だった私は、友達の内藤君(老け顔)に窓口に行って、私の馬券もいっしょに買ってもらうことにしたのです。
それがはじめての馬券を買った瞬間でした。
競馬新聞なるものを生まれてはじめて見たのも、その時。彼のお父さんに鍛えられた自称馬券のプロである高校二年生の内藤君が、僕に馬券の買い方を指南してくれるのです。
その時、レースが始まる前。勝ち馬を予想するという、生まれて初めての行為。こんなにワクワクすることが世の中にあるんだと、夢中になってしまったのです。
購入した馬券は1番人気のメジロマックイーンと5番人気のプリンスシンの単勝。あと枠連でマックイーンがいる枠から相手はプリンスシンやナイスネイチャのいる枠へ流しました。合計で3000円ほど購入したのを今でも覚えています。
結果はというと1着はダイユウサク。単勝13,790円。
荒れに荒れた有馬記念でした。
当然、私が買った馬券はハズレ。レースが終わったあと思ったこと。それは「競馬って何があるかわからない。とんでもなく楽しいゲームだ」と。
カスリもしなかった予想。紙くずになった馬券。
それなのに、お金が無くなって悔しいはずなのに、悲しいはずなのに、レースが終わった後も、ずっとワクワクが止まりませんでした。
生まれてはじめての競馬で単勝万馬券がでた歴史に残る有馬記念とは・・・。
ラッキーなのかアンラッキーなのか?? 何はともあれ、この有馬記念が私が競馬を好きになるキッカケとなったのでした。
3,馬券の買い方を変えたキッカケ
それから競馬にどっぷりとハマっていきます。大学受験を控えた高校三年生。毎週土日は競馬場です。内藤君の老け顔をフル活用して、毎週毎週馬券を買いまくります。
土曜日、午前中は学校なのですが、昼からは競馬場に行くことができます。学校からの帰路、通学路の途中に競馬場があるものだから、調子に乗って制服のまま私服へ着替えることもなく、学校の帰り道で、そのまま競馬場に行くという、とんでもない高校3年生の生活がはじまったのです。
もちろん大学受験には失敗し、すべり止めの大学に、なんとか入ることができたのですが、もちろん大学に行っても競馬ばかり。
そんな大学生の私も、とうとう4年生。就職が目の前に迫ってきました。
私は馬産地で働きたいという気持ちが強く、ただ競走馬を見たいという単純な思いで、金融会社の北海道の支店を希望したのです。
九州から北海道へ、競馬が動機の就職。不純な動機の社会人生活がはじまりました。しかし、当初、馬産地である千歳や日高地区での勤務は叶わず、23歳の私が最初に配属されたのは、道南地方の函館支店でした。
それから5年。ようやく苫小牧支店の支店長へと配転となった私は、ようやく大きな牧場の経営者と会うことができ、顧客の牧場に足を運んでは、競走馬を毎週のように見ることができるようになったのです。
その当時、馬産地業界は、まだまだ社台グループ1強の時代ではなく、日高や静内の中小、零細牧場でも重賞で活躍する馬を数多く輩出していました。
ナリタブライアンで有名な、今は無き早田牧場なども力を持っていた時期でした。私が勤務していた会社は、いわゆるノンバンクといわれるもの。ざっくり言うと「法人向けのサラ金」です。ヤクザまがいの取り立てなんかはしていませんよ(笑)。しかし、その当時は、なんと40.004%という高利で法人向けに1000万とかいう単位で事業資金の融資をしていました。1000万だと年間で400万もの利息を支払わないといけません。
そんな高利で借りて返済できる企業は、ほとんどありません。多くの会社は倒産するリスクが高いのです。だから担保と保証人をしっかり確保してから融資をするのです。そんな中、返済の可能性が高い業種として競走馬の生産牧場がありました。競走馬の生産牧場は1発当てればウン千万。一攫千金の可能性がある特殊な世界なのです。
銀行からも融資が受けられなくなったような零細牧場でも、私たちの会社からお金を借りて、海外から繁殖牝馬を輸入したり、高額の種馬をつけたりということができる。我々は、そういう夢見る牧場経営者の需要に日々応えていたのです。
一発逆転にかけた競走馬の牧場。この業界は、まさに競馬で馬券を買う我々と同じく、ギャンブルに満ちた世界だったのです。
負け、負け、負けの連続です。金融会社なので、お給料は良かった。27歳や28歳でも年収600万以上はありました。
しかし、貯金はゼロ。お金が足りなくなり、自分の生命保険を解約して馬券を買ったこともありました。そう考えると毎年毎年200万円以上は負けていたのだと思います。
高校生、大学生の頃は、おそらく収支はプラスだった。仕送りもない中で、バイトと競馬の勝ちだけで生活していたのですから。しかし、知識が増え、馬を知れば知るほど馬券収支は悪化していきました。
馬券成績が悪化していった本当の原因は何だったのでしょうか。それは、競馬に関する知識が増えたことで、競馬の常識の中で馬を選ぶようになってしまったということ。負けが重なると自分の予想に自信が無くなる。
それが重なり、いつのまにか本命党になっている自分がいました。単勝1番人気2番人気が大好きなギャンブラーです。勝てるはずがありません。
しかし、そんなとき転機が訪れます。それは2004年5月。天皇賞春のレース当日のことでした。その日私は札幌競馬場にいました。競馬開催はない場外の札幌競馬場です。
その日は、会社の融資先でもある、とある牧場の社長に招待され、札幌競馬場の馬主席で、その社長といっしょに競馬を楽しんでいました。その方に同席させてもらうことになり、馬主席で競馬を楽しむことができたのです。
はじめて訪れる馬主席で興奮気味に予想を楽しんでいたのを覚えています。
午後の10レースが終わったところで、いよいよメインレース。メインレースは天皇賞春。1番人気は武豊騎手騎乗のリンカーンです。
当時、私は本命党だったのですが、シルクフェイマスという馬が好きで、この馬は強いという確信と、3200mも問題ないという根拠のない自信を持っていました。当時1番人気が大好きだった私にしては珍しく、5番人気。そして対抗も珍しく4番人気のゼンノロブロイ。この2頭から3連複で流す予定にしていました。
そして流す相手に2人気のネオユニヴァースと穴馬までと手広く流すことにしていたのです。そして、メインレースの30分ほど前になり、同席していた牧場の社長に、「八並君は、どの馬にするの?」と声をかけられたのです。
私は「シルクフェイマスとゼンノロブロイの2頭から3連複で流します。」と自信を持って答えました。
すると、その社長は笑い出し、「シルクもゼンノは3200mは無理だよ。ネオユニヴァースで間違いないよ。悪いことは言わん。ネオユニヴァースから買っときなさい。」と言われたのです。
当時、本命党でもあった私は、そうだよねーと納得。馬と何十年も生活をしてきて、自分なんかより何十倍も馬のことをわかっている牧場主の眼は確かだよなーと、思い直し、シルクとゼンノを買うのをやめて、ネオユニヴァースからの馬連に変えたのです。
ところが結果は、シルクとゼンノが2,3着で相手候補にも買っていたイングランディーレが1着に来て3連複で20万円を超える超特大配当となったのです。
あの時の悔しい気持ち。今でも忘れられません。
さらに、やっぱり何が起こるかわからないのが競馬だ。とも思ったのです。
はじめて馬券を買ったあの日。ダイユウサクが1着になった有馬記念の記憶が鮮明に蘇ったのと同時に、あの時に感じた感覚も蘇ったのです。
「競馬は何がおこるかわからない。とんでもなく楽しいゲームだ」と。素人同然の自分が、60年近く馬を見てきた人に勝てるのが競馬だと。その時、10年ぶりに改めてそう確信したのです。
このことが、自分の馬券の買い方を一変させます。
自信を持っていい。
自分を信じればいいんだ。
自分の選んだ馬を、自信を持って買い続けよう。
周りの意見に振り回されるのはやめよう。
自分の意思を貫くこと。
信じ切ることが、最終的に大きな利益に繋がるのだと。
そう悟ったのでした。
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