10/17 ①宝くじ8億当たった結果

宝くじで8億円当たった結果

 

はじめに

これは実話に基づく、私の体験談だ。

宝くじが当たった時期や金額の詳細はある程度伏せるが、当時キャリーオーバーという状態で、しばらく当選者が出ていなかったため、本来であれば4億円の当選金であったところが8億円になった。

当てたのは数字を7つ選ぶというもので、7つとも当たれば一等というシンプルなものだった。

宝くじの中でもかなり高額な部類のものの一等が当たったという経験がある人はもちろんかなり少ないのではないかと思う。まさか自分がその一人になるとは夢にも思わなかった。

気合と時間さえあれば誰でも個人出版が出来るというサービスを知ったのは最近のことだ。もともとこの珍しく、劇的な経験を一種の自伝として出版したいとは常々思っていたが、そんなことをすればいわゆる「身バレ」は防げない。以前『宝くじが当たった人の末路』という本が話題になったが、これはタイトル詐欺で、宝くじ当選金についての記述は数ページしかなかった。「末路」というとどの時点を指すべきなのだろうかと悩んだ記憶もある。

アメリカでは金額の桁が違うとはいえ、宝くじの当選者が殺されるという事件も多発していると言うではないか。いくら日本が平和とは言え、自分で稼いだわけでもない大金を持っていますとやすやすと公言するわけにいかない。

まあ、読んでいただければ必ずしも大金が転がり込んで来れば幸福かと言われれば何とも言えないことは分かるだろうが、それでも嫉妬の的にはなりたくない。

一方で、この経験を共有し、色々な人に読んでもらえれば夢のある話だと感じてもらえるのではないかと思う。

私はあなた達の多くと何ら変わりのない、単なる一般庶民であり、労働者で納税者であった私が当たったのだから、あなたに当たらないとは言い切れない。

もちろんその確率は1000万分の1だそうだから、滅多なことではないということは確かだが。もしかしたら、リアルな知人にそんな話はなかなかできないし、単に自慢したいだけなのかもしれない。

それでも、一つの物語だと思って読んでいただければ、突然大金が転がり込んでくるという状況がどのような変化をもたらすのか疑似体験できると思う。

もし、読んで宝くじ依存になったとしても私の責任ではない。また、詳細な地名などもやはり伏せさせていただく。

むしろ、私が伝えたいのは「お金の持つ力とは」という問いの答えになる体験の一つである。「世の中金じゃないよ」とはやはりきれいごとでもあり、やっぱり「世の中金だな」という経験もしたし、逆に「どうして金があってもダメなのか」と悩んだ経験もある。

それに私は偶然から突然大金を手にした庶民であり、金に振り回されはなしだったと思う。自分の力でゆっくりと金持ちになったわけではないのだ。

特に最後の方では、私の思う「金とは何か」をまとめている。内容に沿っているためそこだけを読んでもピンと来ないかもしれないが、分かることもあると思う。

そんな私がどうなったのか、宝くじを当てる前からその後まで、覚えていることを書いてみたい。現在の私は当選から約5年ほどしか経っていないが、身を取り巻く多くの環境が良くも悪くも変わってしまった。

以前の自分を思い出すと、まるで夢の世界のように現実味のないものとして思い出される。知らないうちに別人に乗り移ってしまったかのようだ。

読むにあたって、どうかのめり込まず、宝くじを本気で当てようと思ってはならない。当たる時には当たるのかもしれないし、当てようとしても当たらない時は当たらないのだと思う。

出来れば、一つの「事実は小説より奇なり」とも言える物語を読むような感覚で追体験をしていただければ幸いだ。また、突然大金を稼ぐ方法は宝くじだけではない。例えば、他のギャンブルで大当たりするかもしれないし、最近ではYoutuberのように急激に成功する例も少なくない。

その他にも起業して経済的成功を収めたものの、それ以上の激しい消費で資金繰りが間に合わなくなる経営者など、大金を手に入れたせいで思い上がり、失敗してしまう人や、むしろ検約に努めてコツコツと失敗せず成功を維持し続ける人もいる。私の体験はその中の一例に過ぎないものだ。

 

1⃣それまでの生活

実は私が宝くじで8億円もの大金を手にしたのはまだ26歳の頃だった。

働き始めたのは23歳のころだった。怠けた大学生活を送っていたことのツケで、半年間の留年期間を経て卒業し、それからもしばらくはアルバイト生活を送っていたのだ。

大学時代と同じ家で一人暮らしをしていたのだが、金銭的には案外余裕があり、大学時代の同級生としばしば飲みにいくこともできたほどだ。

奨学金の返済期間もまだ入っていなかったこともあるし、新卒入社のサラリーマンの手り月収もしれたものだったから生活の差を感じることはなかった。

むしろ時間的余裕はこちらの方があるかも知れないと思ったほどだ。

それでも、やはり同級生がちゃんとサラリーマンとして社会と企業の歯車として役目を果たしているのに対し、卒業してからもアルバイトで生計を立てるというのは世間体としてもよくないし、なんだか劣等感を感じることもあった。

結局なんとか卒業論文を書き上げて大学を九月に卒業した後は、十一月ごろには就職活動を始め、一応新卒扱いとして二月には就職を決めた。

就活は、特に説明会に行くようなこともなく、求人情報サイトを適当に見て、条件を新卒やら第二新卒やらに絞って検索して、ヒットした求人の中でも誰にでもできそうな営業職を選んだ記憶がある。

それほど深く考えたり何社も面接を受けるということもなく、想像していたきつい就職活動というよりアルバイトを決めるような感覚で就職は決まった。

月収は残業代込みで22万円程度で、家賃補助も少しあるが、転勤の可能性は全国あるという、一般的な企業だったのではないだろうか。

就職が決まった時には一足先に就職していた、大学時代から付き合っていた同級生の彼女、A子がお祝いをしてくれたのを覚えている。

A子は身長は160cmに満たないくらいで、暗めの髪の色、性格は落ち着いているが、よく話しよく笑う子だった。友人たちは彼女を可愛いと言っていたし、私もそう思っていた。

私との時間を大切にするタイプで、同棲はしていなかったが、よく連絡を取り合い、休みが合えば私の家にもよく足を運んでくれていた。

就職したばかりだったから、料理をしてくれたりする余裕はなかったが、それでも私が大学を留年してフリーターもどきとなった時ですら、少なくとも孤独ではないと感じられただけでも感謝すべきだったと思う。

仕事は営業職で、配属先もとりあえずは家から通えるところだったため引っ越しする必要はなかった。

多くの場合営業職と言っても店舗の管理をするいわゆる店長職のようなものが多いようだが、私の場合はホテル向けの備品を売る会社で、要は店舗とメーカーの仲介をするような仕事だった。

顧客を新規開拓する飛び込み営業をする必要はなく、定期的にホテルや旅館の店舗に顔を出しては、カタログを置いていくような仕事をしていた。

入社してからしばらくは営業マンとしてのロールプレイをさせられたり、わざわざ本社まで出向いて研修を受けさせられたりもした。商品名や種類、特徴などを叩き込まれ、一ヶ月近くに及ぶ修が終わったら次の半年のような形で行動をともにした。

自慢というわけではないが、私はそこそこの国立大学に行っていただけあって(留年はしたが)物覚えの良さには自信があった。

難なく研修もこなし、社内では期待の新人とさえ呼ばれていた。

もしかしたら私は仕事ができる方なのではないかと思い、最初のやる気はなかなかのものだった。しかし、どれだけ物覚えが良かったり顧客であるホテル支配人の求める備品を紹介できたとしても、取引を減らされることは少なくない。

初めのうちは動揺し、上司の叱責にも落ち込んだものだったが、仕事にも慣れてきた2年目、3年目にはそれほどの情熱も持たず、仕事の手の抜き方も上手に覚えることができた。

それでも新規受注数は右肩上がりで、社内での立場も悪くはなかった。「給料はほとんど上がらなかったし、インセンティブのようなものがつくわけでもなかった。

ボーナスの金額は徐々に増えてはいたものの、このまま適当に歳を取っていくのかとぼんやりと思うこともあったが、それなりには充実していたのだろうか。

A子との交際も続いていた。気づけばお互い25歳の誕生日を迎え、否が応でも結婚を意識する頃だ。

その当時の私は、客観的に見れば悪くない人生を送っていたのだろうが、それでも大学生の頃のように気の置けない友人達と朝まで遊んだり、昼過ぎまで寝坊したり、実現しようもない夢を語るような生活を思い返すとなんだか寂しいような気持ちになっていた。

大学時代の同級生も皆転勤を繰り返したり、SNSからも姿を消したり、連絡を取ろうと思えば取れるのだがお互い忙しいだろうと考えてか連絡を取らなくなっていった。

その中でも一部はまだ大学の近くから引っ越していない友人もいたし、時々週末に会うこともあったが、結局するのは仕事の話か、大学時代は良かったなという思い出話で昔のようには盛り上がらない。お互いに違う道を進んでいるのだなと実感させられた。

男は大人になると友人を作ることができなくなると言うが、まさにそれが真実なのではないかと感じていた。

趣味に興じる時間や体力もなく、一日一日がとても早く過ぎ去っていくように感じるようになったのもちょうどこの時だ。いわゆるマンネリというやつだろうか。

宝くじや馬券を買ったりし始めたのもこの時期だったと思う。

学生時代に年末ジャンボのような宝くじを友人らと数枚買ったりはしていたが、就活したくないなとかそんなことを言いながら冗談半分に買っていて、当てようという気持ちはなかった。

25歳の私も本気で当てようとはしていなかったものの、もしかしたら当たるかもしれないという安易な妄想に耽ることもしばしばあった。

毎日仕事に通うのもこれから数十年続くと考えると辟易して仕方がなまた、会社の都合でいつ転勤になるかもわからない。

家を買って間もないのに単身赴任することとなった先輩も見てきた。まして、経済的にも明るいニュースはないし、少子高齢化がひどくなるのは分かりきっていて、これ以上環境が良くなるとは思えない。

そんな中で結婚をしたり子供を作ったり、老後のことを考えたりするのだと考えると現実逃避もしたくなるだろう。あまりに限られた環境で、選択しなければならないことが多すぎるのだ。

とりとめのない感情を思い返して書いてしまって申し訳なく思うが、当時の私の心理状態は今思い返してもいまいちはっきりしない。

とにかく昔と比べて退屈な日常や先行きがそれほど明るくないことに鬱屈とした感情を抱えているというのはそれほど珍しいことではないと思う。

おそらくほとんどの人がこのような漠然とした不安感を持っていたり、フラストレーションを抱えているのではないだろうか。

また、今になって思うことではあるが、新卒で就職して週五日や、下手をすれば六日という労働契約を誰もが疑いなく結んでしまう文化に、当時は何の違和感も感じていなかったが、これは奴隷契約と何が違うのだろう。

もっと世間体など気にせず時間的な自由を優先していれば、とは思うが、もし本当にそうしていたら私は現実逃避のために宝くじを買うこともなくその結果大金を手にすることもなかったから、何が正解なのかは蓋をあけるまでわからない。

それに、アルバイト生活を続けていれば二十代ならまだ良くても歳をとれば、今度は就職しておけば良かったと思うのかもしれないし、万人に対する正解などないのだろう。

競馬はそれほど損することもなく、おそらくトータルでは勝っていたのではないかと思うが、大穴と呼ばれるものに賭けてしまう癖が悪かった。競輪は最悪だった。

全くと言っていいほど当たらずいくら損したかわからない。はっきり言ってギャンブルの才能はなかったが、それでも夢を買うという意味では悪くなかった。とは言え、当たっても資金は多くないし、数十万円が限界といったところだが。

宝くじも大穴狙いでロト7という、数字を選ぶものの中では最高額の当選金がもらえるものを選んでいた。

一等でなくても、軽いボーナスくらいの金額が当たればいいやという気持ちで、あえて連続した数字を選んでみたり、選ぶ時に見た時計の時間を当てはめてみたり、自分の誕生日の数字を買ってみたりと、色々と工夫をした。

宝くじのいいところは、競馬や競輪、或いは株やFXといったものは自分の裁量と研究で何とかなりそうで、運よりは努力やセンス次第という側面があるが、数字を選ぶのに努力もセンスも何もないという点だ。それに必ず毎週抽選はあるし、他のロト系を合わせれば週に何度も抽選日がある。

近所のスーパーで見かけたら買ったり、ネットバンクの口座から買ったりすることもあった。ちなみに後で詳しく話すことになるが私が当てたのはネットバンクの方だ。

ただ、いくら実力など関係ない運任せとはいえ、ほとんど当たったことはなかった。

スクラッチのもので千円当たったとか、そんなものだ。ロト系は末等ですら本当に当たらない。

当たらないと分かっていても神頼みをすることはあった。

宝くじを当てる参考にはならないだろうが、お参りすれば宝くじが当たるとかそういう話のある神社にはよく行ったし絵馬も書いた。

信心深い人であれば、お参りのおかげで当選したと信じて疑わないかもしれないが、客観的に見て、神仏の類が確率に影響する可能性は極めて低いと言わざるを得ない。

それでも、何とか運を引き寄せようとするなら神頼み以外には方法はないのだが、やはり読者におすすめできるものではないと思う。

もちろん意味はないと言いつつも、私ですら神頼みをしていたわけで、これに関しては他人にどうこう言える立場でもない。

さて、当時の状況は何となく伝わったと思う。

数年間仕事をしてある程度板についてきたが、任される仕事の量や質も上がってきて忙しい。ブラック企業勤めでもないが、楽で美味しい仕事にありつけたというわけでもない、至って普通のサラリーマンだった。

漠然とした不満を抱えてはいるが、具体的な解決策があるわけでもないし、頭の中のほとんどは仕事のことでいっぱいで解決どころではない。そして、人生こんなもんでいいよと思っている。そんな感じだ。

 

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