快適すぎる暮らし
宝くじで八億円を手に入れてから、約一年が経った。
私は27歳になり、A子も同じく27歳となった。その頃にはA子は元々住んでいた家の契約を解除し、完全に同棲することになったが、仕事を辞めるには至らなかった。
私も、かなり消費癖が落ち着いてきて、日常的に買う食材や家電などの小さな出費はあったものの、大きな買い物をする機会は減っていた。なんせA子以外の人間とは久しく会っていない。
親には引っ越したことも仕事を辞めたことも言ってなかったし、友人らからの飲み会の誘いは何となく会いづらさを感じて断っていた。
それよりも、ようやく落ち着いた暮らしが楽しくて仕方なかった。当時の一日の生活を紹介しよう。朝は自然と九時には起床する。
アラームではなく、カーテンにタイマー設定をしておけば自動で開き、自然光で目が覚める。朝食は、大量に購入して業務用の冷蔵庫に保存してあるボトルの野菜スムージーを飲むようにしていた。
それからエスプレッソマシンで有機栽培のコーヒーを淹れ、窓際に座り日光を浴びながらゆっくりと飲む。今日も「下界」は忙しそうだ。飲み終えたらマンション内のジムに向かい軽く走る。
そこでは挨拶を交わす程度の顔見知りもできた。お互いの仕事は知らないが、きっとどこかの経営者か何かだろう。全員私よりは年上だが、30代くらいの住人も多い。
私の部屋よりは狭いだろうが、それでも実業でこのマンションに住めるというのはきっと優秀なビジネスマンに違いない。立地のせいか、芸能人などを見かけることはなかった。
運動をした後には帰宅し、プロテイン飲料を飲む。それからベッドリネンを、洗濯から乾燥まで行ってくれるドラム式洗濯乾燥機「1号」に入れ、脱いだ服をドラム式洗濯乾燥機「2号」に入れてシャワーを浴びる。
洗濯機置き場や洗面台はすべて二つある。それどころかトイレも二つあるし、風呂はメインと別にシャワールームもある。昼になれば昼食に出かけることもあるし、家で適当に済ませることもある。
家電にはこだわっているので炊飯器で炊く米は本当に美味い。夜は外食することが多いので、昼食はなるべく健康的に済ませる。
冷暖房的につけっぱなしだし、どんな季節でも快適だ。空気清浄機は各部屋に置いていて空気も綺麗だ。
昼過ぎになると、週に二回程度は掃除屋さんに来てもらう。部屋が広いため月に10万円ほどはかかるが、一般家庭であればそんなにかからないのではないか。
個人的に洗濯や食事は自分で面倒をみたいため、風呂場やトイレの掃除や、自動掃除ロボットの範囲外の部分を掃除してもらう。家事を外注することで、金で時間を買うことは可能だ。
残念ながらドラマ「逃げ恥」のような展開というわけにはいかず、来るのは中年以降の女性だが、こちらも変に意識しないで済むので悪くはない。ちなみに部屋のいたるところに現金が置いてあるのだが、多分盗まれても分からないと思う。
もしかすると、掃除婦さんは私のことを反社会的勢力の一因だとか思っているかもしれない。昼間から家にいる金持ちなど得体が知れず怖いのではないだろうか。
だから少なくとも私の知る限りでは家のものが盗まれたと言うことはないし、なれなれしく話しかけてくることもない。
暇な時間は適当にネットショッピングをして家電を買うのにはまっていた。
自動掃除ロボットがあれば、大抵足りているのだが、ダイソンの掃除機を無駄に買ってみたり、調理器具を買ってみたり、使いもしないマッサージチェアを買ってみたりと、数万円から数十万円のちょっとした出費で暇をつぶしていた。
それをSNSにあげると、コメントが付くので気が向たらそれに返事をしたり、漫画を読み、大画面で映画を見て(当時すで
映画配信のサブスクがあり、片っ端から登録していた)、乾いたベッドリネンを畳んだりしていると一日が終わる。こう書いていると退屈そうなのだが、A子同棲生活が孤独感を感じさせはしなかった。
A子が仕事に出ているのは好都合だ。一人の時間とのメリハリがついて良い。夕方になると着替えてから、事務職でほぼ定時に上がるA子を職場近くまでベンツでよく迎えに行った。A子もお姫様気分でまんざらでもない様子だ。
それから予約していた飲食店に出向き、夕食を共に食べる。毎日のように外食をしていると行きつけの店もかなり出来た。天麩羅屋、鮨屋からミシュランにも載るフレンチからカジュアルなイタリアンレストランまで、この世にはこれほどまでに旨いものがあるということを初めて知った。
もちろん帰りは運転代行を頼んだのは言うまでもないが、運転手とも仲良くなっていた。
貧乏舌という言葉があるが、以前の私は何を食べても美味しく感じられたものだが、久しぶりに居酒屋などに行くと何が足りないのかは分からないが、美味しく感じられない。一方、チェーン店の定食屋や牛丼屋は美味しいままだった。
友人こそいなかったものの、A子がいたし、行きつけの店の店主や運転手との会話は十分に人との関わりを充実させてくれた。
土日にはA子とよく旅行に出かけた。二人ともドライブが好きだったし、ベンツの走行距離はどんどん伸びた。新幹線で酒を飲みながら行くこともあった。
A子の休みの都合も合わないし、海外旅行には行かなかったがそれほど魅力を感じなかったため問題はなかった。ベンツはいつしかマセラティのグランツーリズモという車に変わり、日本中を走り回ったと思う。
しかし、結局この快適すぎる暮らしも続けているうちに退屈してくる。ここでもマンネリという影が迫ってきたのだ。
どんなにあこがれた快適な生活を送っても、同じ刺激には慣れてしまうものだ。むしろ働きたいとすら考えた。しかし、労働というのは必要に迫られて初めて実行に移せるものだ。
当時の私に責任を果たす能力などまるでなかったし、それは自覚していた。結局、私が刺激を求めて行きついた答えは「結婚」「子育て」だった。
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