10/ 31 ⑨宝くじ8億当たった結果

金とは何かという結論

結局、無職に戻り八億円から五億円を消費したりだまし取られたりして三億円が残った。数年努力して手に入れたビジネスも乗っ取られてしまったため無職だ。気付けば30歳を超えてしまった。

手元には何も残っていないどころか金は減っていく一方だが、私はこの経験を通していくつかのことを学んだ。

ます、金についてだ。現代社会で階級制度は残っていないはずだ。貴族も平民も存在しないし、健康で文化的な最低限度の暮らしを営む基本的人権は誰しもが平等に持っているはずだ。しかし、それでも金持ちと貧乏人は存在する。

金持ちはさながら貴族と変わりない。金を持っていればどの店に行っても優遇される。金を管理し、必要な人に貸し出すだけの機関であるはずの銀行ですら、多くの金しているだけで奥の応接室に通してくれるのだ。

「平民」は銀行に並ぶが、「貴族」は銀行から来てくれと懇願される。

もちろん飲食店でもそうだ。平民が背伸びをして高級店に行って狭い思いをすることが多い。

コース料理に日給、連れのコース給、そしてワインに日給、タクシー代に日給……値段を見るだけでも頭痛くなるだろうし、一口一口を少しずつ味わっていると美味しさなど分かりやしない。

これは本当にその通りで、フレンチでもステーキでも割烹料理でも大きめの一口で食べるのが一番美味しい(賛否両論あるだろうが)。

また、マナーにもびくびくしながら怯えながら食べる羽目になる。なんせそこは貴族御用達の店なのだ。

自分が平民であることがばれてしまうのは居心地が悪い。一方、本当に金を持っていれば食べ方やマナーなど気にもならなくなる(マナーを悪くするというわけではなく身の丈に合った状態を受け入れられるという意味だ)。

金で健康は買える。別に最高の医療が受けられるというわけではない。医療については若さゆえに世話にはあまりならなかったが、よほどの病気でない限り保険適用内の治療で間に合うのではないだろうか。

金で買える健康とは、生活習慣の話だ。まずストレスがなくなる。金があるというだけで所持金を気にする必要がなくなる。

高いからという理由で我慢することもなくなる。安い店での接客の悪さや、客層の悪さに辟易する必要もなく、金がある人のための店に行くだけでストレスが減る。また、働いていた時も、不快な相手がいても彼よりも金を百倍は持っているということを考えれば不思議と憐れみの気持ちすら湧いてくる。

また、朝から晩まで働く必要もなくなる。ストレスが減るというだけでなく、時間も買えるということだ。平民が他人のために週40時間働いているなら、貴族は毎週40時間多く時間を持っていると言っていい。

ちなみに一週間は168時間しかない。時間があれば睡眠不足とは無縁になる。今日は眠い日だと思えば昼まで寝ることもできるし、早く寝たければそうすればいい。まるで夏休みの子どものようだが、貴族からすれば、労働者の働き方の方が異常だ。

あなたはその仕事と自分の命どっちが大事なのか?

私は以前の自分にそう問いたい。1日の起きているほとんどの時間を売ってまで他人のビジネスを拡大させることにそれほど全力を注ぐ必要があったのだろうか。

仕事が原因で感じる不快はあなたの健康を日々害している。それを自覚していないのであれば既に限界を超えている。それでも働くのは世間体を保ちたいからだろうか?

しかし、私とあなたの違いは通帳に書いてある預金の金額だけだ。銀行員のちょっとしたいたずらで私は無一文にもなり得るし、逆に世界一の富家にもなれるかもしれない。私は無職でも世間体を気にしてはいない。

労働により発生する納税もしていないから、固定資産税や自動車税を払っているくらいのものだ。社会のゴミだと言っても過言ではない。それでも世間体など気にする価値もない。

金を持っているほうが「偉い」という価値観のおかげだ。つまり、金とは目にも見えないし存在しているかも怪しいものだが、それでも人々の価値判断の絶対的な基準になっている。

昔の人が落ちぶれていようが貴族階級だというだけで偉かったように、現代では金を持っているだけで偉いとされている。

結局、金で最も得られるのは「金があるということ」なのだ。金というものは使う必要すらないのだということに私は五億円失って気付いた。金があれば働かなくても偉い人にさせてくれる。この一点に尽きる。

 

それでも人の心は買えない

言うまでもないが「偉い人」と「魅力的な人」は違う。私は前者であるが後者であるかどうかは微妙だ。A子に結婚を保留されたときはそんなところを見透かされたのかもしれない。あなたは偉い人か魅力的な人、どっちと生涯を過ごしたいだろうか。

だから人の心は買えない。尊敬は集められるが、重要な時に人がついてくるかどうかは金の有無に関わらない。しかし、それでも尊敬を集めるのが重要な場面は多い。

例えば集団を率いる時にはリーダーは尊敬されたほうがいい。私が飲食業の社長であるか単なる店長であるかで、アルバイトや他社の営業マンの反応は大いに異なっただろう。

だから、もし金持ちになる機会があれば、偉くても腰の低い魅力的な人を目指した方がいい。確かに困難であるが、二つは両立が可能だと思う。

 

金持ちが勝っ

結局、金を持っている人間がどんな場面をも制することができる。

金持ちにはうまい話が舞い込むし、自分もうまい話を提供できる。だから金持ち同士は仲が良い。また、金があれば開業に手こずることもない。無駄に遠回りせずに済むし、初期投資はある程度あった方が商売はうまくいきやすい。

また、借金には利息もつくし定期的な返済も発生する。一千万借りれば毎月の利息だけで数万円に上ると言われている。

それでは元金が減らないし、いつまでも自転車操業を続けていればいつかは破綻する。自己資金で開業するのは、平民には難しい。

数十年貯金して貯めた数千万で一発開業ができるのは異常者だけだと思う。普通は守りに入って儲からない投資信託を買うくらいのものだろう。

だから数千万など失敗がきくと言えるほどの金持ちが勝つ。大きく出られるから大きく勝つ。負けても既に稼げる方法を持っているので補填がきく。

平民はよほどの異常者でなければ、成りあがることができないシステムなのだ。

これは当然、金持ちは少数でなければ特権階級では居られないから仕方がない。

また、私ですら、この高層階の窓から見える人々が皆金持ちになったらと考えると不安感に襲われる。

居心地の良い店もなくなるし、特権的な扱いもされないし、わがままも言えない。もしかすると、働きづめになるかもしれない。何と恐ろしいことか。

もし私がD氏くらいの金持ちで政治にも通じている男であれば、平民の成り上がりを恐れて賃上げなど決してしないように圧力をかけるかもしれない。これが現実的な貴族連中の思考だと思う。

このようなことを言えば怒り狂う平民の皆さんもいるだろうが、もしあなたが八億円を手にすればその日から貴族気分で、それまでの平民仲間には一生労働者でいて、自分の代わりに働いていてほしいと思うに違いない。

私の性格が悪いわけではないからこのシステムは変わりようがない。

 

その後~私の今

さて、無職に戻った私の最近の話だ。今は落ち着いた暮らしをしている。

B子とは恋人関係にあり、彼女は会社を辞めてアルバイトをしている。年齢も20代後半になっている。

未だに彼女は私のことを成功した実業家だと思っているままだ。何らかのビジネスの社長だと思っており、大いに尊敬してくれているらしい。

また、彼女の前では特に魅力的な人であろうとしている。何も知らない彼女といると非常に気分がいいのだ。何の責任も感じないし、お互いに自由だと思う。

世の中の金持ちは多くが離婚を経験するそうだ。もしかすると、ゼロから成りあがった人は、成りあがる前のことを知っているパートナーと過ごしているより、以前の自分を知らない人と、ある程度の距離感を保って緒にいる方が居心地が良いと感じるのかもしれない。人間同士、あまり距離が近くなりすぎるのも考えものだ。

また、買収された飲食業については感染症で客足は遠のいたものの、それでも名前や外装を少し変えて営業している。個人的に、これは買収されていて良かったと思う。営業していても私一人の力では泥沼化していたかもしれないし、売ろうにも買い手はつかなかっただろう。

当初のように拡大していくということはなく、相手も予定が狂っているのではないだろうか。もしかしたら、既に所有者は変わっているのかもしれない。

残念ながら今の私には三億円しかない。始めは五億円の別荘を買うことも考えていたが、それも叶わぬ夢となってしまった。

一方、派手に浪費することも、妙な儲け話に乗るような野心もなくなった。流石に一度痛い目にあうと慎重にもなるようだ。痛い目にあって尚生きているというのは奇跡に近いが。

今の趣味は料理だ。以前よりもっと凝った料理をしている。それから掃除も自分でするようになった。節約という意味もあるが、そもそも物が少ないし時間は有り余っているし、また、やってみるとこれも楽しいと言える。時々B子を連れて遊びに行くことはある。

ただやはり資金的な問題から豪遊というわけにはいかない。それでもなるべく格好のつくデートをしている。残念ながらB子と同棲したり結婚したりするということはないだろう。

もう宝くじの話は誰にもしないつもりだし、女性とは居心地が良い一定の距離を置く一方、当然親密な関係にもなれないことは覚悟している。

また、昔の友人の結婚を期に時々会うようになった。脱サラして奮闘していることだけは伝えた。まあ、嘘じゃない。しかしそれでも彼らは労働者で、私が下級貴族であることには変わりない。

どうしても価値観が合わないし、彼らの話題は労働に関することしかなくて退屈だ。趣味があっても偏りがちだし、学生のように気楽な話題というのはできなくなってしまったのだろうと思って残念だ。

他にも最近やってみたいこともある。二重生活というやつだ。時間も金も有り余っているが、向上心もない私は「強くてニューゲーム」に憧れている。つまり、一見普通の家に住んでいてアルバイトをしているフリーターだが、実は金持ちでした、という漫画のようなことをするのも可能だ。

小さい家は秘密基地のようでこれも魅力的に見えるようになった。

正直なところ、結婚相手を見つけるなら婚活よりアルバイト先の方がいい。婚活ではまた距離感を保つ必要があるし、金目当てだろうからまだ孤独死の方がマシそうだ。

もし、アルバイトをして普通の人を演じながらも恋愛関係に発展することが出来れば、それは理想的な関係ではないか。

これは普通の人がする出会いに近いような気もする。その方が理想的だなんて本末転倒もいいところだ。

何にせよ、金による弊害というのもありそうだ。金があるから人と距離が出来る。

しかし、私はとりあえず二重生活自体をやってみたいと考えている。『静かなるドン』然り『特命係長只野仁』然り、男は二重生活を送る主人公に魅力を感じるものだ。そんな漫画のような生活が出来るのは向上心を捨てたおかげだと思う。

既に隣町あたりに家を買おうと考えている。あまりにボロボロだと飽きたときに投資物件にならないため、ある程度の築浅物件で、駅や大学へのアクセスが良い1LDKがいいだろう。なんせ履歴書にかける普通の住所が必要だから。

実はこれを書いているのも暇つぶしに近い。もしB子が読めば私が書いていることに気付くかもしれない。あるいはA子か、私を騙したと思われるDやEが読むことになるかもしれない。まあ、彼らは覚えてはいないだろうが。

 

伝えたいこと

これを書く機会を与えてくれた友人にまずは謝辞を述べたい。私一人ではこのような機会を得ることはなかっただろう。

私の体験は、単なる一例に過ぎないが、急に大金を手にした人間がどのような思考に陥るのかについては少しは分かってもらえたのではないだろうか。今日では世の中に富が溢れており、ちょっとしたきっかけで大金持ちの仲間入りを果たす例が少なくないようだ。

動画投稿者のように急に有名になり広告費が稼げる場合や、クラウドファンディングにより以前れば資金が集められなかった事業が簡単に始められることもある。あるいは私にとっては苦い思い出である仮想通貨などでも経済的成功を収める人もいるだろう。

このどれもが個人的な努力と無関係だとは言えないが、運による成功という側面も大きいのではないかと思う。

どんなに良質の動画を投稿していても誰の目にも止まっていないこともあるだろうし、有望な事業がクラウドファンディングをしても資金が集まらないということもある。

日本に限らず考えれば、天才的な頭脳を持ちながらも畑を耕すしかない人間がいくらでもいる。

金持ちになるには運の要素が必要だと思う。私の場合はまぎれもなく純粋な運だ。それでもこれだけ天狗になってしまったのはもうお分かりの通りだ。

もし、少しでも自分の才能が評価された結果だと思える点があれどうだろうか?「面白い動画を上げたから」「事業計画が良いから」などと、自分の才能に金持ちになった根拠を見出してしまえば、本来の自分を見失ってしまい、周囲を見下してしまうだろう。

これはほぼ例外なく成り上がりの全員が通る道なのではないかと思う。

しかし、金とは先に述べたように単なる概念であり数字に過ぎない。それでも通帳に記された数字がその人の価値や地位を決めているのが現実だ。

金持ちに言いたいのは、金がその人の魅力を決めるというわけではないということだ。金を持つことにより地位が高くなるのは仕方がない。

それでも地位が高いことと魅力的なことは全く異なるのだ。才能だけでなく、人間的な魅力を獲得することが重要なのだと私がまだ若いうちに気付いたことをここに教訓として書いておきたい。

完全に運を排除して才能だけで金持ちになれることは少ない。皆、能力に大きな違いはないのだ。能力を発揮できる環境に恵まれるかどうかなのだ。

労働者に言いたいことは、結局金持ちに勝つのは難しいということだ。

宝くじでも多く買った方が当たるわけだし(期待値はマイナスだが)、商売も自己資金が大量にある方が圧倒的に有利だ。投資は言うまでもない。だから、所詮他人の会社に勤めているだけの仕事や金に固執しない方が良いということだ。

多少持っている金の違いは同じ穴のムジナだ。労働者同士の世間体を気にするより、自分の生き方そのものに興味を持った方がいいし、配偶者も気楽な人間の方がよさそうだ。

喜ばしいことに、日本では生きていくのにそれほど苦労することはない。それでもなぜこれほど労働者が苦労しているのか。

私が金を持っているからこそ言えることなのだろうが、もっと世間体を気にせず生きることは誰にでもできることだと思う。

これ以上は蛇足になってしまうためこの辺で話は終わる。

宝くじ当選者はどこにでもいる。

次はあなたかもしれない。

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