5/17 ⑤カジノは日本を救うのか?

第3日本にカジノを作るべきでない理由

◆カジノ推進派もカジノが「よくないもの」であることは認識している。

前に、日本にカジノを作るべきであるとの主張をしている人たちの論理、考え方について見てきました。

基本的には、「多少のデメリットはあるかもしれないが、それよりも経済効果の方が大きい」「デメリットがあるのはわかるが、デフレ不況打開のため、背に腹は代えられない」といったものでした。

それを端的に示していたのが、IR議連の「特定複合観光施設区域整備法案(仮称)~IR実施法案〜に関する基本的な考え方(案)」です。

ここには、「1、カジノを含むIRの実現、実施に関する基本的な考え方」「2、IR実施法制定へ向けての基本的な考え方」と並んで、「3、社会的関心事への対応」という節を設け、「暴力団組織の介入や犯罪の温床になること等を断固、排除する」「マネーロンダリング(資金洗浄)を防止する」「地域風俗環境悪化、公序良俗の乱れを防止する」「青少年への悪影響を防止する」「賭博依存症患者の増大を防止し、その対策のための機関を創設する」という項目が掲載されています。

カジノを推進しようというIR議連が、あえてこうした項目について言及しているのは、列挙されるような項目について懸念があるからに他なりません。「社会的関心事への対応」という見出しで、「社会」の関心事であるかのように述べていますが、実際には「IR議連」=「推進派」の関心事でもあるわけです。さて、こうした点も含めて、こちらでは「日本にカジノを作るべきでない理由」について考えていきたいと思います。

もちろん、いままで読んだ上で、「作るべきでない理由」に対して再反論を考えて、「カジノ推進」の論理を構築してもかまいません。

むしろ、そのようなディベート的な手法で物事を捉えて、考えていくことで、思考も議論も多角的で有意義なものになっていくことでしょう。

◆ギャンブルはなぜ違法なのか

何度も言うように、現在、日本では刑法によってギャンブルは違法とされています。

いわゆる公営ギャンブル(競馬、競輪、ボートレース、オートレース)や宝くじ、スポーツ振興くじ(toto)は認められていますが、これらはすべて公的機関(国や地方自治体傘下の外郭団体など)によって運営されています。

民間企業がギャンブルを主催している例は、日本にはありません(繰り返しますが、パチンコは建前上はギャンブルではありません)。

主催者のいないギャンブルも違法です。例えば、お金を賭けて麻雀やゴルフをするのも違法です。

お金を出し合って、高校野球の勝敗を予想して、当たった人がお金をもらうという、いわゆる野球賭博も違法です。

個人間でお金を賭けて、何らかの勝負事をするのも「ギャンブル」なのです。

「賭け麻雀も賭けゴルフも野球賭博も、みんなやっているではないか」などと言わないでくださいね。「みんなやっている」かどうかは知りませんが、仮に「みんな」がやっているとしても、それは「みんなが違法行為をしている」ということです。

車を運転していてスピード違反をして捕まったとします。

「みんな、スピード違反しているじゃないか」などという言い訳は通用しません。

仮に「みんな」がスピード違反をしているとしても、捕まった人の罪が軽くなることはありません。

話を元に戻しましょう。

とにかく、日本では一部を除いて、ギャンブルは違法です。

では、なぜギャンブルは違法なのでしょうか。法律で禁止するからには、禁止しなければならない理由があるはずです。

その理由は、いくつかあります。真っ先に考えられるものを挙げると、ギャンブルに過度にはまってしまう人が数多く現れるからというものがあります。

ギャンブルには常習性、中毒性があるので、必ず一定程度、過度にはまってしまう人が現れます。

そうした人たちは借金漬けになるなどして、人生を破滅させてしまう可能性が高いので、初めから法律で禁止してしまおうというわけです。

「そんなものは自己責任だ」と言ってしまえばそれまでですが、「自己責任」という言葉の中には「社会的損失」(あるいは「外部不経済」)という概念が入っていません。例えば、「治安の悪化」です。

ギャンブルにはまる人が増え、借金漬けになる人が増えると、確実に治安が悪化します。人からお金を奪ってでもギャンブルをしたいという人が少なからず現れるからです。

カジノが解禁されていない現在でも、「パチンコ代ほしさに金を奪った」とか「奪った金は競馬につぎ込んだ」などと供述する犯罪者の例は枚挙にいとまがありません。

他にも青少年への影響が考えられます。未成年に悪影響があるから、法律で禁止しようという論理です(ただし、これだけが理由なら「未成年だけ禁止」という法律にすれば済みますが)。

「未成年者がギャンブルをしないようにする」というのに反対する人はあまりいません。

現在、法律で認められている公営ギャンブルも、基本的に未成年者は禁止(パチンコは建前上はギャンブルではないので、8歳未満禁止。totoは2歳未満禁止。宝くじは年齢制限なし)です。

現在は違いますが、ちょっと前までは、競馬、競輪、ボートレース(競艇)、オートレースは、二十歳を超えていても、学生は馬券、車券、舟券を買うことができませんでした。

ところで、ここでよく考えてみましょう。「青少年への悪影響」とは何なのでしょうか。

なぜ、未成年はギャンブルをしてはいけないのでしょうか。「憲法で基本的人権が保障され、基本的人権には自由権が含まれますから、その部分だけで考えれば、先ほどのギャンブル依存症の問題も含めて、ギャンブルにはまろうが、身を持ち崩そうが、その人の自由ということになります。

その結果として、社会的損失(治安の悪化など)が起こった段階で取り締まればいいという理屈も成り立つわけです。それこそ、「自己責任」です。「法律で自由を奪われるのは違憲だ」という主張も、成り立たないわけではないのです。

では、ここで、話を未成年に戻して、さらにちょっと視点を変えてみます。

ギャンブル以外にも未成年者禁止のものがあるでしょうか。また、それらはなぜ未成年者禁止なのでしょうか。すぐに思いつくのは、飲酒と喫煙です。

なぜ、この二つは禁止されているのでしょうか。「体に悪いから」その通りですね。でも、この二つ、未成年者だけでなく、大人にとっても体によくないですよね。

もちろん、体が成長過程の未成年の方が悪影響が大きいということはあるでしょうが、二十歳を超えたとたんに、悪影響が無視できるほど小さくなるというわけでもありません。

国家が個人の生活に干渉して、個人の自由や権利を制限する根拠として、「パターナリズム」という考え方があります。「パターナリズム」とは法律用語としては、個人の自由、権利に対して、国家が家父長的に介入して制限を加えることを意味し、「家父長主義」などと訳されます。

未成年者に対する禁止事項には、この「パターナリズム」によるものが多いのです(成人に対する禁止にも同様のものがあります)。

要するに、「未成年はまだ善悪の判断が正しくできない(判断力が未熟な)ので、国家が父親代わりになって、きちんとした判断をしてあげましょう」ということです。

裏を返せば「さすがに二十歳を超えたら、自分で善悪の判断(飲酒、喫煙は体に悪影響を及ぼすという判断)ができるはずなので、父親(国家)からいちいち言われなくても、自分で自制できるだろう」ということになります。

だから、飲酒や喫煙は、未成年者は禁止でも、大人は禁止されない(国家が禁止しなくても、自分でわかるだろうという)わけです。(ちなみに、麻薬が大人も禁止なのは、飲酒、喫煙などに比べて、社会的悪影響が大きいためでしょう。)

ここまで見てくると、なぜ未成年がギャンブルをしてはいけないかが見えてくるでしょう。

未成年がギャンブルをしてはいけない理由は、「依存症になるなど、そもそもギャンブルはよくないのだが、未成年はそのよくないことをやらないようにしようと考えるための判断力が未熟なので、家父長的に国家が制限をしてあげよう」ということです。

でも、「さすがに二十歳を超えたら、ギャンブルがよくないことなど自分で判断できるだろうから、いちいち国が制限したりはしないよ」ということになります。

つまり、ギャンブルはそもそもよくないものなのです。そうでなければ、別に未成年に対して禁止する理由がありません。

「未成年に対する悪影響」などと言ってしまうと、あたかも「未成年には悪影響があるが、成人には悪影響がない」かのような錯覚を覚えますが、そうではなく、「そもそも悪影響があるのだが、未成年は判断力が未熟で、『悪影響があるからやらないようにしよう』という判断ができにくいので国家が禁止しよう。

成人は自分で「悪影響があるからやらないようにしよう』という判断ができるので、国家が禁止するまでもない」ということなのです。「青少年への悪影響」は本来、「成人への悪影響」でもあるのです。

もちろん、未成年の方がギャンブルにはまりやすくて、依存症になりやすいという側面もありますが、これも飲酒、喫煙と同じで、成人したとたんに依存症になりにくくなるわけではありません。

判断力や自制心が育っているはずだということであって、害が和らぐわけではないのです。

ちなみに、マカオのカジノは以前は8歳未満入場禁止でしたが、2012年から1歳未満入場禁止と、年齢制限が厳しくなりました。

マカオでも、未成年者のカジノ利用による悪影響を放置できなかったと見えます。

 

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