5/18 ⑥カジノは日本を救うのか?

◆ギャンブル依存症を考える

さて、ギャンブル依存症についてもう少し見ていきましょう。2014年8月20日付の産経新聞ニュース(ネット版)に、このような記事がありました。

ギャンブル依存疑い500万人超日本、世界より高い割合

「ギャンブルに対する気持ちが抑えられない「ギャンブル依存症」の疑いがある人が、国内に500万人以上いるとする推計を厚生労働省研究班(代表、樋口進・国立病院機構久里浜医療センター院長)がまとめ、20日発表した。成人の約5%に上り、世界のほとんどの国が1%前後にとどまるのに比べて日本は非常に高い割合だと警告している。

依存の推計値が公表されるのは初めて。研究班は、海外ではカジノがあるのは特定の地域にとどまるのに対し、日本はパチンコやパチスロが身近な所に普及しており、ギャンブルに接しやすいのが高い割合の要因とみている。

樋口代表は「ギャンブルには必ず負の側面がある」と述べ、政府のカジノを中心とする統合型リゾート施設の導入に慎重な議論を求めた。

調査は昨年7月、全国から無作為に抽出した成人のうち、同意が得られた4153人に面接。国際的な指標に基づいてギャンブルへの依存度合いを調べた。

また、時事ドットコムの2014年8月19日付には、以下のような記事があります。

カジノ、日本人はNGに=依存症懸念で働き掛け厚労省

厚生労働省は、海外からの観光客誘致の一環として政府内で検討が進むカジノ解禁に関し、ギャンブル依存症患者が増加する懸念があるとして、日本人の利用を認めないよう求めていく方針だ。安倍政権は内閣官房に検討チームを設け、米国やシンガポールなどの先進事例の調査に乗り出しているが、同省は関係府省に対し、解禁の場合も利用者は外国人観光客に限るよう働き掛ける。

2013年に日本を訪れた外国人観光客は1000万人を超えた。東京五輪・パラリンピックが開かれる20年に向けてさらに増える見通しで、政府は加速させようと、五輪に間に合うようカジノ整備ができないか検討中。6月に改定された成長戦略でも、カジノ解禁の検討が明記された。

厚労省は、観光立国推進のためのカジノ整備自体には反対していない。一方で、依存症などの精神疾患対策を所管する立場から、カジノ解禁によってギャンブル依存症患者が増える事態を懸念する。それを避けるため、日本人の利用を認めないよう訴える考えだ。

同省によると、日本人はパチンコなど、ギャンブルに比較的のめり込みやすい傾向が統計上見て取れるという。

これには「カジノの主たる顧客は日本人ではなく、あくまでも外国人観光客である」という、(参入を目論んでいる)外資系カジノ運営企業へのメッセージであるとする見方もありますし、「日本人は依存症にならないように。

外国人は依存症になるように」という矛盾も感じますが、いずれにしても、日本人がギャンブルにのめり込みやすい傾向があり、実際にギャンブル依存症が疑われる人が500万人以上いるという点は見逃せません。

「そのほとんどはパチンコ依存症だろう。パチンコ依存の顧客層はだいたい低所得者層であり、カジノがターゲットとしている富裕層とは客層が違う」という主張もありえます。

ですが、大王製紙の御曹司の例を出すまでもなく、依存症に関しては富裕層であっても、一定程度、出現してしまうことは間違いありません。

(日本人はカジノ入場禁止というのは一つの妙案だとは思いますが、それではカジノビジネスに参入しようという外資系企業にとってうまみが激減してしまいますから、現実的には難しいでしょう。)

前にもいいましたが、この依存症が一定程度、出てしまうことに対しては推進派も認めています。

前述のように「特定複合施設区域整備法案(仮称)~IR実施法案〜に関する基本的な考え方(案)」に「賭博依存症患者の増大を防止し、その対策のための機関を創設する」とあることでもわかります。

推進派の言い分は「カジノ依存症が現れるけど、依存症の人をケアする対策を打っし、対策のための専門機関を作るから大丈夫」ということのようです。

「むしろカジノを作れば、儲かったお金でギャンブル依存症対策を打ったり、対策機関を設置できるのだから、いいことだ」などとおかしな論理を振りかざす人までいます。

しかし、これではまるで、街にゴミを撒き散らしておいて、「あとでちゃんと掃除するし、お掃除施設を作るから大丈夫」と言っているようなものです。

どう考えても、最初からゴミを撒き散らさない方がいいに決まっています。

あるいは、ウイルスを撒き散らしておいて、「抗ウイルス薬を開発するから大丈夫ですよ」と言っているようなものです。

まず、ウイルスを撒き散らさないようにする方が先ではないでしょうか。

なお、すでに500万人ものギャンブル依存症の人がいるのですから、依存症対策のための機関は、カジノ解禁とは関係なく、早急に創設した方がいいでしょう。

◆電通がカジノ事業で動く理由

前にも述べたように、東京のお台場にカジノを誘致しようとしている企業の一つに、広告代理店の電通があります。

電通には、カジノに関わる部署があるのですが、なぜ広告代理店の電通に、しかもカジノがまだ日本には存在しないにもかかわらず、カジノ事業に関わる部署があるのでしょうか。

広告代理店は広告の仲介をすることで利益を得ている企業です。普通に考えれば、カジノに関する広告を仲介できるから、事前に関わっているということになります。

ただし、普通の企業広告なら、カジノのない現在はまったく利益を上げることができない(はずの)事業部をわざわざ置く理由が見出せません。

カジノができた段階で、普通の企業広告のように広告営業をすればいい話です。

天下の電通ですから、カジノ関連で稼ぐ手段はあれこれあるのでしょうが、広告という点で考える限り、最も儲かりそうなのはカジノの「イメージ広告」です。

当然ながら、カジノには「博打」という負のイメージがあります。それを払拭するために、「豪華」で「煌びやか」で「クリーン」なイメージを、一般の人たちに植え付け、また、観光事業の立役者であるかのようなイメージを広めるための広告には、かなりの需要があるはずです。

とにかく一般の人たちの負のイメージを払拭するようなプロパガンダを発信し続ける必要が出てくるので、そこから収益を得ようという目論見があるのです。

もちろん、カジノのプロジェクトそのものに参画することで、それに付随するさまざまな稼ぎどころがあるのでしょうが、負のイメージを払拭するプロパガンダで大きな稼ぎが見込まれるのは間違いありません。

そして、「負のイメージを払拭するプロパガンダ」を発信し続けなければならない理由は、社会に対するカジノの悪影響が嫌というほどわかっているからに他なりません。

悪影響がしっかりとわかっているからこそ、その懸念を払拭する広告が作れるのです。

◆カジノで稼ぐことの意味

さて、ここで、カジノを資本主義の観点から見てみたいと思います。

資本主義を厳密に定義すると話が難しくなりますが、少なくとも、資本を投下し、その資本を使ってモノやサービスの価値を高め(付加価値)、その高めた価値の分だけ、個人や企業、そして社会全体が豊かになっていくシステムだという点には異論はないでしょう。

マルクスなら、「労働力が価値を生み出す」と言うかもしれませんが、いずれにしても、資本(労働力も資本と見なすことができます)を使って価値を高め、その高まった価値が豊かさになるという考え方は共通していると言えます。

では、カジノは資本主義的にはどのように捉えられるでしょうか。

まず、カジノの運営者(カジノ企業)はどんな付加価値を生み出しているでしょうか。

カジノの運営者は製品は生み出してはいませんが、カジノというサービスをお客に供給していると言えます。

施設やディーラーの技術といったものがなければ、お客はカジノというサービスを享受できませんから、そこに付加価値があると言えるでしょう。

あるいは、宿泊施設があれば、そこでも宿泊というサービスを供給していますし、レストランがあれば、調理という労働によって食材に付加価値を与えて料理として供給しています。

つまり、カジノの運営者側から見る限り、しっかり付加価値を高めていて問題ないように見えます。

では、お客の側から見てみるとどうでしょうか。お客はカジノというサービスの消費者ですから、付加価値を生み出す側ではなく、消費する側です。

しかし、お客の心理的側面というか、お客が何を期待してカジノに行くのかを考えると、少し違った見方になります。では、お客はカジノに何を期待して行くのでしょうか。カジノというサービスを得るために、つまりゲームを楽しむために行くのでしょうか。

もちろん、そういう側面も多分にあるでしょう。しかし、カジノ客がカジノに足を運ぶ最大の理由は、「お金が増える(かもしれない)から」です。

もし、純粋にカジノにあるゲーム(遊技)を楽しむだけなら、お金など賭けずに友達とブラックジャックをやればいいですし、ゲームセンターへ行って、換金できないコインを使ってスロットマシンで遊べばいいはずです。そうしないでカジノへ行くのは、「お金が増える」ことを期待しているからに他なりません。

カジノに限らず、ギャンブルの構造は資本主義の価値創造(「ビジネス」と言い換えてもいいでしょう)の構造と似たところがあります。

実はここが落とし穴でもあるのですが、似ているところがあるものの、決定的に違うところもあるのです。

まず、似ているところはこうです。資本主義の価値創造は、資本を投下して、その資本を使ってモノやサービスの価値を高めて、供給するというものです。

もう少し砕けた表現をすれば、通常のビジネスを考えればわかるように、儲かりそうなことに投資して、利益を得ようとするのが資本主義の方法論と言えます。

投資するというリスクを背負って、儲かるというリターンを狙うということです。

例えば、ラーメン屋をすれば儲かると思った人(会社)がいた(あった)とします。資本(お金)を使って、店舗を借り、内装・外装を整え、材料を仕入れ、宣伝をし、開店したら調理をして、お客にラーメンを提供します。

このラーメン屋は儲かるかもしれませんし、儲からないかもしれません。そういう意味では、ビジネスには常にギャンブルの要素が付きまとうのも確かです。

カジノをはじめとするギャンブルも、ゲームにお金を投じるというリスクを背負うことによって、儲かるというリターンを狙うものですから、その点だけに焦点を合わせれば非常に似ていると言えます。

ですが、ギャンブルとビジネスとでは、決定的に違うところがあります。

それは、ギャンブルで儲けても、そこに付加価値は、一切、生まれていないということです。

資本主義のビジネスにおいてお金をもらう(利益を得る)というのは、労働や投資などによって何らかの付加価値を生み出し、その付加価値の対価を受け取ることに他なりません(実際に受け取るのは「原価+付加価値」ですが、「原価」は利益にはならないので、最終的に得られる対価は付加価値分だけです)。

「繰り返しになりますが、その付加価値こそが個人や社会を豊かにする源泉なのです。

多くの人は労働の対価として給料や報酬をもらいますが、それは労働に価値があるというよりは(労働という価値に対して対価が支払われているというよりは)、労働によって生み出された付加価値に対して対価が支払われているわけです。

ギャンブルでは、勝って報酬を得たとしても、どこにも付加価値は生まれていません(ギャンブルの運営側ではなく、客がギャンブルに勝って報酬を得たときの話です)。

労働に価値があると考えても同じです。ギャンブルに勝った人は労働したわけではありません。

労働していないのに報酬を得たことになる、つまり価値を提供していないにもかかわらず、報酬を得たことになります。「射幸心」という言葉がありますが、これはまさに「労働せずに報酬を得ることを求める気持ち」のことです。

カジノ(ギャンブル)を認めるということは、労働せずに(付加価値を生み出さずに)報酬を得ようとするのを認めることを意味します。

資本主義は価値(付加価値)を生み出すことで社会が豊かになっていくシステムですから、付加価値を生み出さないで報酬を得ることを認めるというのは、資本主義を根底から覆す行為と言えるのです。

株などの金融商品だけで利益を得ている人がいる状況(実質的に、金融が世界経済を動かしている状況)を「金融資本主義」などと言って批判する人も少なくありませんが、これも「労働せずに(付加価値を生み出さずに)報酬を得ている」ことに対しての批判です。

カジノを認め、ギャンブルによって報酬を得ようとすることを認めるのであれば、それはまさに「ギャンブル資本主義」の到来とでも言えましょう。

金融資本主義が大きな批判を受けている状況で、ギャンブル資本主義を認めようというのはいかがなものでしょうか。

株などの金融商品で大儲けしてしまった人の多くは、確実に勤労意欲を奪われます。働かなくても儲かるなら、苦労して働こうとは思いません。

仕事に対するやりがいとか、生きがいとか、そういう話は別問題ですが、

働かずに儲かるなら、少なくとも経済的にはそれをやり続けた方がいいということになってしまいます。

「実際に儲かるかどうかは別だ」とか「どうせギャンブルでは儲からないんだから、勤労意欲は奪われないだろう」と思うかもしれませんが、ギャンブルを始める時点では「儲かる」と思ってやるわけですから(株も同様でしょう)、儲かっても、儲からなくても、勤労意欲は奪われるのです。

つまり、勤労意欲を奪うものは「実際にギャンブルで儲かった経験」のみならず、「儲かるかもしれないという期待」も含まれるのです。

繰り返しますが、カジノを認めることは、カジノで儲けることを認めることであり、それは働かずに(社会に付加価値を生み出さずに)報酬を得ることを認めることです。

これは資本主義の完全否定ということになります。

先ほど、「青少年への悪影響」について考えてみましたが、カジノについて、子どもたちにはどう説明するつもりなのでしょうか。

カジノを推進するということは、子どもたちにもカジノとは何かを教える必要が出てくるはずです。

そこで、「カジノとはよくないものだ」と教えるわけにはいかないでしょう。「よくないものをなぜあえて解禁したのか」と聞かれたら、答えようがありません。解禁する以上、「カジノはいいものだ」と教えるしかないのです。

ここで完全に矛盾が生じます。

今、先生方は子どもたちに、ゲームセンターですら「行ってはいけない」と教えているはずです。

ところが、「カジノはいいものだ」と教えざるをえなくなるのですから、「ゲームセンターはダメで、カジノはいいというのはなぜか」という疑問に答えなくてはならなくなります。

カジノを家族型複合施設に置くのであればなおさらです。

家族でカジノが付随した施設に行くことを想定しているわけですから、子どもに「カジノはよくないものだ」とは言えなくなるでしょう。

保護者が学校の先生に「夏休みには家族でカジノ施設に遊びに行きます」と言ったら、先生は何と答えたらいいのでしょうか。

百歩譲って、生徒たちには「子どものうちは行ってはいけません」と言えたとしても、「なぜ大人はいいのか」ということになり、先ほどの「大人は善悪の判断が自分でできるから」という話に至ることになります。

いずれにしても、子どもには説明がつかないのです。なぜ説明がつかないのかは明らかで、カジノ解禁の理由自体に矛盾があるからです。

◆カジノはアンフェア

資本主義において、フェアかアンフェアかという問題は非常に大きく捉えられます。

特にアメリカ人は、(表面上)アンフェアであることを嫌います。

このフェアとかフェアネスを厳密に定義するのも、また難しいのですが、公平性、すなわち機会の均等性、成功するかどうかの結果はともかく、誰にでもチャレンジするチャンスがあるという点は、その中の重要な一要素であると言えます。

では、カジノはフェアな存在だと言えるでしょうか。お客の方は、機会自体は均等かもしれません。日本人への入場制限を設けるとしても、あるいは年齢制限を設けるにしても、その点を除けば、誰でもカジノを楽しむことができるはずです。

問題はカジノ運営企業の方です。ここで問題視したいのは、「ギャンブルは胴元が必ず儲かるようにできている」という話ではありません。

それは、すべてのギャンブルについて同じなので、それをわかった上で参加する分には、まさに自己責任と言えます。

そうではなく、「カジノ運営企業に市場における自由競争はあるのか」という点です。カジノの運営にはどの企業も自由に参加できるわけではありません。

政府の機関、あるいは特区として選ばれた地方自治体が企業を選定し、その選ばれた企業が独占的にビジネスを行うことになります。

一部の人がカジノ運営企業を選ぶ権利を持っていて、その人たちのお眼鏡にかなった企業だけが、カジノというビジネスを行うことができるわけですから、これこそまさに「利権」そのものです。

実際、この利権を持つことになりそうな人たちへの献金合戦はすでに始まっているとの話も聞こえてきます。おそらく、本当なのでしょう。

献金によってめでたくなったごく一部の企業だけが参入することができ、参入したら最後、ほとんど競争もなく、利益を独占できてしまいます。

これは資本主義的には、完全にアンフェアです。資本主義の基本は、自由市場における自由競争です。別に新自由主義とかそういうことではなく、資本主義の根本がそうだということです。

ギャンブル市場は、運営企業側から見ても、資本主義から逸脱したものだと言えるのです。

現在の日本では、ギャンブルはすべて、公営です(何度も言うように、パチンコは建前上はギャンブルではないということになっています)。

なぜ公営なのかには、いくつかの理由がありますが、その一つが「私営にするとアンフェアが生じるから」です。

先ほども触れたとおり、ギャンブルは胴元が必ず儲かるようになっています。

誰でも胴元になれて、胴元間でサービス競争があるというのなら、まだわかります。

しかし、そうはなりません。いわゆるカジノ特区以外では、カジノの営業はできないのですから、ごく一部の企業しか参入できないという状況はどうしようもありません。

しかも、その企業の選択は、これまたごく一部の政府、地方公共団体関係者の意思ひとつで決まってしまうのです。

◆アメリカのカジノの多くは「インディアン・カジノ」

アメリカにはラスベガス以外にも数多くのカジノがあるという話はすでに書いたとおりです。

その多くが「インディアン・カジノ」と呼ばれるもので、ネイティブ・アメリカン(インディアン)の部族が経営しています。

「アメリカはあちこちにカジノがあるのだから、日本もあちこちにカジノを置けるようにすれば、ある程度、自由競争に近づくのではないか」と思う人がいるかもしれません。

ここで確認しておきたいのは、アメリカのインディアン・カジノがあちこちにあるのは、あちこちにネイティブ・アメリカンの部族が住んでいるからであって、けっして市場原理に則った自由競争をしているからではありません。

その証拠に、ネイティブ・アメリカンの部族以外には、カジノ運営の許可はおりません。

つまり、インディアン・カジノであっても、利権の構造の一部分であるということです。アメリカのカジノも、自由市場で自由競争しているわけではないのです。

インディアン・カジノは、アメリカの被差別人種に対する白人たちの贖罪であり、資本主義の論理、フェアかアンフェアかという論理の外側にあるものなのです。

◆マネーロンダリングは防げない

次に、マネーロンダリングの問題について、反対意見の立場から、もう一度考えてみましょう。

何度も引用していますが、「特定複合観光施設区域整備法案(仮称)~IR実施法案〜に関する基本的な考え方(案)」には、マネーロンダリングについてこう書かれています。

  • マネーロンダリング(資金洗浄)を防止する

カジノ施設は諸外国では国際機関であるFATF(金融行動タスクフォース)勧告に基づき、疑似金融機関と位置付けられており、一定金額以上の賭け金行動をする個人の本人確認、疑わしい行為等の規制当局に対する勧告義務等マネーロンダリングを防止する枠組みが法定されている。

わが国もFATF勧告に基づく制度が存在し、カジノ施設をこの中に追加することにより、先進諸外国と同等の規制によりマネーロンダリングを防止することとする。

また、マネーロンダリング対策として有効とされるカジノ施設内での現金、チップを使用しないキャッシュレスシステムについて、導入を検討することとする。

諸外国と同等のマネーロンダリング対策をし、またチップを使用しないキャッシュレスシステムの導入を検討するとしています。

はっきり言って、こんなことではマネーロンダリングは防げません。カジノを利用したマネーロンダリングは、すでに諸外国のカジノで行われており、最も盛んなところはマカオだと言われています。

前でも述べたとおり、マカオのカジノの利用客のほとんどが中国の富裕層や役人たちであり、またマカオのカジノの売上の大半が、ジャンケットを利用した、VIPルームでのものです。

VIPルームに入ると、中でどのようなことが行われているかは誰にもわかりません。

第1でも見た、カジノを利用したマネーロンダリングの方法を再確認しておきましょう。

まず、ロンダリングしたいお金をあらかじめカジノ運営企業に渡します。おそらく、ジャンケットが仲介するケースがほとんどでしょう。あとは、普通にカジノを楽しむ(楽しむふりをする)だけです。

カジノ運営企業は、この上客を勝たせます。お客はお金を受け取り、大手を振って、カジノから出て行けばいいだけです。

これで、非合法で表に出せない多額のお金が、あっという間に合法的なお金に化けます。

お客は、カジノ運営企業(とジャンケット)に手数料を支払うか、実際に少しだけカジノで遊べばいいでしょう。

これでお客も、ジャンケットも、カジノ運営企業も、三者がWinlwin|winの関係になります。

実際に行われているのは、もう少し複雑にカモフラージュされているようですが、基本的な手順は変わりません。

カジノ運営企業が自主的にこの行為をやめない限り、この流れに沿ったマネーロンダリングを防ぐことは難しいでしょう。

では、カジノ運営企業は自主的にこの行為をやめるでしょうか。企業内に内部告発者でもいない限り、まずやめないでしょう。

なぜなら、カジノの収益の大半がジャンケットを通した中国人富裕層からのものだからです。

中国人富裕層らの多くは、カジノにギャンブルをしに行くのではなく、マネーロンダリングをしに行くのですから、もし、カジノがマネーロンダリングという魅力を自ら放棄したとしたら、中国人富裕層たちはカジノにそっぽを向いてしまうに違いありません。

カジノ運営企業も、ビジネスでカジノをやっている以上、顧客のニーズをあえてはずすようなことをするはずがありません。

 

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